「水商売はもちろん、接客業自体が初めて。場所柄、お会いするのは社会的地位の高い方が多く、最初は過度に硬くなってしまい、お話を伺うのに精いっぱいで灰皿を取り換えるのを忘れてしまったことなどもありました(笑)。最近は少しずつ仕事に慣れてきて、同伴出勤やアフターにも誘っていただき、緊張感がありながらも楽しくやらせてもらっています」 そう話すのは、1990年代に一世を風靡した伝説の“セクシー女優”桜樹ルイ(55)である。1996年に人気絶頂のなか引退すると、その後はストリッパーとして浅草ロック座などで活躍したが、2000年以降は20年以上表舞台から姿を消していた。だが2024年12月に、銀座の老舗高級クラブ「エルプリンセス」でホステスとしてデビューしたことがネットニュースになると、2025年1月には28年ぶりにフルヌード写真集『RUI』(双葉社)が発売されるなど話題だ。 「エルプリンセス」といえば、桜樹の前に初代セクシー女優クイーンとして絶大な人気を誇った小林ひとみ(61)がママを務めていることでも知られている。桜樹はなぜ今、銀座のクラブで働き、写真集を出すことになったのか。きっかけは2023年9月にXのアカウントを作ったことだった。 「Xを始めたのは、30代後半に潰瘍性大腸炎という難病を患ったことで、人間いつ死ぬかわからない、元気なうちに当時応援してくれた方々と交流できたらと思ったからなんです。引退後は業界の方と会うことはなかったですし、ドキドキしながらXを始めたものの、初めは誰も“本人(桜樹ルイ)”だとは気づいてくれません(笑)。ただ、しばらくすると若いころに写真を撮ってくださったカメラマン(山岸伸氏)の方からメッセージをいただき、写真集を出すことに繋がりました。 その際に、担当編集の方から『今、いちばん何がやりたいですか?』と聞かれ、『小林ひとみさんと対談したい』と言ったら、本当にできることに。現役時代からひとみさんに憧れていたものの、一度もお会いしたことはありませんでした。銀座のクラブでママをされているのは知っていたので、お店に電話して『働かせてください』と頼もうと思ったこともありました。だけど『あなた誰?』と言われてもショックですし、できなかった。それで対談の際に『ひとみママのお店で働かせてください』とお願いしたんです」 ■週5勤務と多忙のなか油絵の塗り絵に没頭 20年以上、行方知れずとされていた桜樹だが、Xを始めたことで人生が急展開した。 「50歳を過ぎていますし、Xを含めSNSを始めるって勇気がいるじゃないですか。『いい歳をして何をやってるんだ』と言われてもおかしくないし。でも、エゴサーチしたら『桜樹ルイ死亡説』『桜樹ルイ逮捕説』とか根も葉もない話がたくさん出てきて、そこはちゃんとお知らせしたいなと。今は少しずつフォロワーも増えてきて、『元気そうでよかった』『変わらずきれい』なんて言われてホッとしています。1パーセントくらいは厳しい声もありますけどね(笑)」 2024年12月から本格的に店に出るようになり、現在は週5日勤務。もともと酒は好きだったが、プライベートと客前では飲む量も違い、けっして楽ではない。だが、明るく話している様子からは充実感が伝わってくる。 「最近は、お店で働いていることがネットニュースなどで取り上げられ、それを見て来てくださる方もいます。もちろん銀座のクラブなので、一気に増えることはありませんが、偶然お店にいらした方が私に気づき、席に着かせていただくことも。急にたくさんの方とお会いするようになったので、顔と名前を覚えるのには少し苦労しています」 どんな会話をするのか? やっぱり若いころ、私のビデオを観てくださっていた方が多いので『昔はお世話になっていました』と言われます(笑)。今はインターネットが普及したおかげで、スマホひとつあればエッチな動画も簡単に手に入るじゃないですか。でも、昔はビデオテープが擦り切れるまで観たとか、友達同士で貸し借りして『まわってきたらいちばんいい場面で止まっていた』なんて、昔話を楽しくさせてもらっています」 20年以上の空白の期間に何をしていたのかも気になる。一時は関西に移住し、農業に従事していたほか、近年は派遣会社に登録し、時給制でスーパーのレジ打ちや事務作業、倉庫勤務をしていたそうだ。もし職場の同僚に桜樹ルイがいたら、ちょっとした騒ぎになりそうだが、身バレすることはなかったのか。 「クラブで働く前は、倉庫で働いていました。髪を結わえて、Tシャツにジーパンという格好に最近はマスクをしていたので全然気づかれず少し寂しかったくらいです(笑)。倉庫では商品を梱包して、配送する業務をしていました。倉庫は想像以上に広く、テキパキと動きたい私はのんびりできず、一日3万歩くらい歩いていました。そんな話をお店でもして、『ゴルフより歩くね』と笑われています」 現在、平日は深夜に帰宅し、「しっかり寝ないとお酒が抜けない」と、翌日は昼過ぎまで睡眠。起床後は、客へのお礼や挨拶などのメールを書き、シャワーを浴び、化粧をして出勤と、毎日が慌ただしく過ぎていく。そんな日々のなかで安らぎになっているのが、油絵の塗り絵に没頭している時間だという。 「一度やるとハマりますよ。セットで買うと絵の具や筆もすべてついていて、指示どおりに色をつけると、自分が画家になったようにきれいにできるんです。お店の女のコにも紹介したら、楽しいってやり始めたコが何人かいますから」 ■ビデオに出なければと後悔したことはない 1989年4月にデビュー。1990年9月に、村西とおる氏が立ち上げた「ダイヤモンド映像」に移籍し、1000本売れたらヒットといわれたなか、コンスタントに約1万本を売り上げるなど、人気クイーンとしての地位を確立した。当時の様子は、大ヒットしたドラマ『全裸監督』(Netflix)でも、バブリーに描かれていた。 「よく、村西さんに『ブランドもののバッグとか買ってもらったんでしょ?』と言われますが、一度も買ってもらったことありません。絶頂時のギャラですか? 騙されやすかったのか、デビュー当時は1本数十万円でしたし、ダイヤモンド映像に移っても、やっと三桁になったくらい。確か3万本ほど売れた作品もあったはずなのに……。 お客さまには、高級なものばかり食べていると思われがちですが、『松屋』や『松のや』にも行きますし、回転寿司も食べます(笑)。確かに時代的にはバブルで、ハワイやサイパンなど海外ロケも多くて、そのときは飛行機のファーストクラスで移動し、いいホテルに泊まらせてもらっていましたけどね」 人生は山あり谷ありだった。それでも、自分の歩んできた道に後悔はないという。 「ビデオに出なければよかった、そんなふうに思ったことは一度もないです。親に勘当されるなど大変な時期はありましたが、最終的には理解してもらえましたし、いい仕事を選んだと思っています。やる以上はとことんやって頑張ったからこそ、いまだに名前を知ってくださっている方もいるわけですから」 セクシー女優としての実働は約4年。のちに引退作品は出しているものの、人気絶頂のなか最前線から退いたことも、今なお伝説として多くのファンの心に残っている理由かもしれない。 「それはあるかもしれません。新しいコはどんどん出てきますしね。そんななか需要がなくなるまでやるよりは、名前のあるうちに次に進みたいという思いもありました。ただ、いざ引退したらやることも見つからず、心にぽっかり穴が空いて『辞めるって言ったけど、これからどうしよう』という時期もありましたけどね(笑)」 クラブで働き始め、約3カ月が過ぎた。少しずつ仕事にも慣れてきて、今は拾ってくれたママや、お世話になった関係者のためにも店の仕事に集中したいと話す。 「いつか、ひとみママと温泉旅行に行けたらという話はしています。でも、まずはお店でお客さまに喜んでもらうことがいちばんですね」 店には、青春時代に“桜樹ルイにお世話になった”という人が全国からやってくるという。 「私はけっこうおしゃべりなタイプなので、何を聞かれても大丈夫ですよ(笑)。ご興味のある方は、ぜひお店にいらしていただいて、お酒を飲みながら一緒に楽しいお話ができたらいいなと思っています!」 さくらぎるい 1969年生まれ 1989年にAVデビューし、1990年代前半にトップ女優として活躍。1996年に人気絶頂のなかで引退し、その後はストリッパーなどで活動。2000年以降は表舞台から離れていたが、現在はAV女優の先輩・小林ひとみがママを務める銀座のクラブ「エルプリンセス」に勤務。2025年1月には約25年ぶりのテレビ出演も話題になった 写真・福田ヨシツグ 取材&文・栗原正夫