日本の「エロ環境」は特殊過ぎる 性加害と「アダルトコンテンツ」の関係性を考えた 北原みのり

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、ヨーロッパを旅して再確認した、日本の「エロ環境」の特殊さについて。 * * * 10日ほどヨーロッパを旅していた。ミュンヘン、リスボン、ロンドンと全く別の都市を回ったのだけれど、帰国して気がついたことがある。たった10日間だけれど、萌えキャラや女性の性的表現物を公の場で目にしないのって、すごく心の健康に良いのだなぁと。私はやはり “そういうもの”を見て、心をざわつかせ、目を伏せ、なんとなくの居心地の悪さを感じて生活しているのだと実感した。東京で生活していたら、“そういうもの”と無縁の日は皆無だから。 先日、出版関係の友人からこんな話を聞いた。某大手出版社の男性週刊誌について。時事ネタを扱うその雑誌は、海外の言論人にインタビューを申し込むときに、表紙を見せないようにしているとのことだった。日本では見慣れた水着姿の女性がニッコリ微笑む写真の表紙だけれど、海外から見たらロリコン雑誌と「勘違いされ」、インタビューを断られるからとのことだった。 日本は特殊なエロ環境にあるのだと思う。 エロが日常的に、環境的に、商業的にちりばめられているという意味で特殊。 女の子をアダルトコンテンツに多用しているのが、特殊。 エロが男性を癒やす巨大な産業になっていて、それが基本的には暴力的で差別的であるという意味でも、特殊。 エロへの感度がずれていて、行政や企業がうっかりエロを織り込んだ広告物を出すという事件も頻発してしまうというのも、特殊。しかも「女性差別だ」などと声があがった際に、「これをエロと思うお前の心がエロだ」などという反論が当たり前に起きてしまうくらいに、「エロ的なもの」を「エロ」と認識できない認知の歪みが社会全体にある。そういう意味でも、特殊だ。 日本に帰国してすぐに目にしたニュースが、保育園の役員で事務員として勤務する男が園児の水筒に尿を入れたとして逮捕されたというニュースだった。男は0~2歳児を世話する立場にあったという。ああ日本に帰ってきたのだ……と苦い気持ちになる。

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