隠し部屋に潜んだ麻原彰晃…警視庁元幹部が語るオウム真理教の強制捜査全容と未解決事件【地下鉄サリン事件から30年】

1995年3月22日、地下鉄サリン事件の2日後に、警視庁などがオウム真理教の関連施設に一斉捜索に入った。捜索の最重要箇所は、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚がいるサリン生成のプラントなどがあった山梨県上九一色村(当時)の教団施設だった。 上九一色村で強制捜査の指揮にあたった警視庁捜査一課理事官だった山田正治氏(84)は、3月20日の地下鉄サリン事件発生時は警視庁にいた。 山田正治 氏: ちょうど刑事部長室で、捜査一課長とともに強制捜査の打ち合わせをしていました。事件の報告が入り、サリンを使われたかもしれないと思いました。刑事部長からは、警視庁の科学捜査研究所に連絡して原因物質を解明するように指示がありました。 前年94年6月に起きた松本サリン事件の捜査で、教団がサリンの原材料を購入していたことが分かり、上九一色村の教団施設周辺でサリンの残留物が検出された。 警察庁はこの年の秋から、教団による事件があった各県警との協議を行っていたが、事件がなかった警視庁はまだ入っていなかった。

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