公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。戦後最年少(50歳)で大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。 ■男性の写真、女性たちの胸に 《1999年夏から15カ月間出向していた「国連コソボ暫定行政ミッション」(UNMIK)の本部前に、ある日、数十人の女性たちが立っていた》 全員が胸に、男性の写真が入った額装を抱えていました。無言ながら、目が切実な思いを訴えていた。写真は夫や息子たちです。98~99年のコソボ紛争以来、消息不明になっていました。 「探し出してほしい…」。悲痛な訴えながら、見つかることはまずない。セルビアの治安部隊は紛争の数カ月間、コソボ民族独立組織を掃討した。治安部隊にとって、村々の青年や壮年の男性は全て、ゲリラ兵に見えていたのでしょう。見つけ次第、連行していきました。その後、どうなったのか全く分からない。唯一、明らかなことは、だれ1人として生きて帰ってきた者がいない、ということです。 ■〝黒い塊〟の父… 《家屋修復のプロジェクトで訪れた村の空き地で、シャベルを片手に地面を掘っている20歳前後の若者を見かけた》 彼の足下に、黒い塊がありました。「やっと見つけた」。彼は淡々と語りました。「これは、僕のお父さんだ」。 父親だとなぜ分かるのか、と尋ねました。「ベルトのバックルが、お父さんのものだから…」。見ると、黒い塊は汚れたジーンズをはき、土まみれのバックルが現れていた。 この場所は、セルビアの治安部隊に殺され、無残な状態で捨てられたコソボの人々の〝集団墓地〟。花輪があちこちに置かれていました。 治安部隊は犬や家畜も殺し、人間と一緒に遺棄した。人間の骨か、動物の骨なのかを後々、分からなくさせるためです。 ■口に、火薬を押し込まれ…