ケネディ大統領暗殺 機密文書から分かること

「20世紀最大の謎」とも呼ばれる1963年のジョン・F・ケネディ(JFK)大統領暗殺事件。公衆の面前で白昼に大国のトップが銃撃された事件だが、動機など全容はいまだに解明されていない。 事件は南部テキサス州ダラスで11月22日に起きた。選挙遊説に向かう途中、オープンカーに乗ってパレードをしていたケネディ氏(当時46歳)らが3発の銃撃を受けた。ケネディ氏は、2発の銃弾を頭部などに受けて亡くなった。 ほどなく、リー・ハーベイ・オズワルド容疑者が逮捕された。ただし、2日後にダラス市警本部から移送される際に、報道陣の前でナイトクラブ経営者に射殺された。真相究明への道は狭まった。 政府の調査委員会は64年にオズワルド容疑者の「単独犯行」と断定したが、緊張関係にあったキューバや米中央情報局(CIA)の関与など陰謀説は消えない。米ギャラップ社が2023年に発表した世論調査では、単独犯行と考えている人は29%、他の人物が陰謀に関与していたと考えている人は65%に上った。 機密情報を含む事件に関連する文書は、92年に成立した「JFK暗殺関連資料管理法」に基づいて国立公文書記録管理局に保管されている。その分量は約600万ページ。順次公開されてきたが、法が義務づけた「25年以内の全記録の公開」はされず、一部は非公開のままになっていた。 理由は「安全保障に深刻な危害を与える可能性がある」というCIAなどの要請だ。しかし、「ディープステート(影の国家)が世界を陰で操っている」という陰謀論をあおり、CIAなどの情報機関に批判的なトランプ大統領は、残る8万ページとされる機密文書を3月18日から公開し始めた。データは膨大で、精査には相当な時間がかかる。 焦点は「新事実」が含まれているのかだ。 ◇CIAの文書多く この事件の研究で知られる弁護士のラリー・シュナプフ氏は、睡眠時間を1日平均4時間にまで削って大量の文書を分析している。現時点での結論は「公開された記録は、暗殺事件そのものとはあまり関係ない」。むしろ、世界中で国家安全保障に関する情報を収集し分析する情報機関のCIAが、東西冷戦下の60年代に行っていた秘密工作に関する文書が多いという。 中でも興味深いのは、JFKの補佐官を務めていたアーサー・シュレシンジャー・ジュニア氏のメモだ。シュナプフ氏によると、CIAに不信感を抱いたケネディ氏が、その再編を考えていた時期のものだという。全15ページのうち、これまで黒塗りされていた2ページが初めて公開された。 メモは、ケネディ氏が大統領に就任した時点で、世界の米国大使館に勤務していた政治担当官のうち47%がCIAの工作員、つまり「スパイ」だったと明かしている。パリの米国大使館では、外交官のうちCIA工作員は123人もおり、大使館建物の最上階を占めていた。南米チリでは、政治担当官13人のうち11人がCIA工作員だった。 外交政策の中心的役割を担うのは国務省だが、出先機関の大使館はCIAが大量の工作員を送り込んで半分指揮下に置いていた。「CIAが『国家の中の国家』のようになっている」(シュナプフ氏)という懸念を伝えた文書だ。 ◇外国政権の転覆に「関与」 CIAを研究している南フロリダ大のアルトゥーロ・ヒメネス・バカルディ准教授(国際関係論)は「これまで『うわさ』レベルであったCIAによる他国の内政への干渉について、揺るぎない証拠がいくつも出てきた」と語る。 例えば、米国は60年代初頭にアフリカ中部コンゴ(現コンゴ民主共和国)の政権転覆を図ったことは知られているが、CIAの工作員が当時の首相を殺害するため生物兵器を持ち込んでいたことが判明した。南米の英領ガイアナ(当時)では、英国とともに当時の政権を転覆させたが、そのためにいくら資金を投入していたかが明らかになった。チリでは、左派政権の誕生を防ごうと、64年の選挙で中道のキリスト教民主党に100万ドルを提供したことなどが記されているという。 米国内で活動してはいけないのに、首都ワシントンのフランス大使館に侵入し、文書を持ち出していたことに関する文書もある。「何でもあり」の状況だったことが分かる。 シュナプフ氏は「CIAは、文書に秘密工作員や情報提供者の名前が記されているから公開できないと主張してきた。しかし、当時の活動を知られたくないということが公開に反対してきた理由ではないのか」と批判する。 ◇陰謀説の拡大に懸念 2人は、暗殺事件に関する新たな事実は出てきていないと口をそろえる。ただし、ヒメネス・バカルディ氏は、文書公開で陰謀説が勢いを増す可能性があると語る。捜査機関や情報機関は情報収集の一環であらゆる「うわさ」を追う。その過程では、根拠のない断定やうそを言う人もいる。そうしたやりとりを記録の中に見つけ、自説に都合の良いところだけを抜き出す人が出てくるからだという。 そもそも陰謀説がなぜ広がったのかを考える必要もある。シュナプフ氏が指摘したのは「米国政府の秘密主義とうそ」だ。事件に関する政府の秘密主義は「何かを隠しているのではないか」という不信感を生んだ。米国ではその後、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件などで政府がうそをついた。陰謀説の広がりは、人々が政府を信用しなくなったことと結びついている。 1910年代から30年代に連邦最高裁判事を務めたルイス・ブランダイス氏の洞察に満ちた言葉がある。「太陽光は最高の消毒薬だ」。透明性や公開性が、組織の腐敗や間違いを食い止めるうえでいかに重要かを表現している。 事件に関する機密文書の公開と専門家による分析は続く。【北米総局長・西田進一郎】

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