金沢の「尹奉吉記念館」問題を考える(木村幹)

バージニア州の州都リッチモンドは、南北戦争時の南部連合の首都が置かれた都市である。今も、南部連合当時の大統領官邸などが保存され、その正当性が雄弁に語られている。【木村 幹(神戸大学大学院国際協力研究科教授)】 バージニアのみならず、アメリカの南部諸州には「南部の正義」を主張する施設や記念碑が数多く存在する。民主主義国家では多様な意見が尊重されるべきで、その意味では善くも悪くもこれらの施設や記念碑の存在は、トランプ政権下でさまざまな問題に直面するアメリカの民主主義が、本来有する多様性と寛容性を示すと言える。 とはいえ、同様の施設や記念碑が戦争で勝利を収めた北部諸州にも数多く存在するか、といえばそうではない。北部諸州のみならずアメリカの一般的な歴史観では、南北戦争は奴隷制度撤廃のための正義の戦いであり、南部連合の主張は認められないと考えられているからだ。南部連合とその歴史をたたえる記念碑の撤去を求める動きも強く、軍関係施設からの南軍に関わる象徴の撤去を定めた法律も作られている。 このような歴史認識の違いに基づく施設や記念碑をめぐる対立は、日本にも存在する。典型的な事例は現在、金沢市で問題となっている尹奉吉(ユン・ボンギル)の「記念館」設置だろう。 朝鮮の独立運動家である尹は1932年、上海の虹口公園で起こった「上海天長節爆弾事件」の実行者である。この事件で上海派遣軍司令官の白川義則と上海日本人居留民団行政委員会会長の河端貞次が死亡し、民間人を含む多くの犠牲者が出た。韓国教育省傘下の研究機関「東北アジア歴史財団」の理事長を務めた金度亨(キム・ドヒョン)は、尹がこの事件を引き起こした「根本的理由」を「中国と日本が戦争を起こすような条件をつくるため」だったと記した。自らの政治的目的を達成するために物理的な暴力を駆使して人々を殺傷した、という意味では典型的な「テロリズム」というべき事件である。 ■本国からの「落下傘」的な活動 自らが奉じる正義のためにどこまで物理的な暴力の行使が認められるべきか、は世界史における永遠の課題であり、今後も議論の尽きない問題である。その場で逮捕された尹は、その後軍法会議により死刑を宣告され、上海に出兵していた金沢の第9師団の敷地内で処刑、市内に「暗葬」された。第2次大戦後、現地の在日コリアンにより発掘された遺体はソウルで改めて埋葬され、慰安婦問題激化により歴史認識問題に対する関心が高まった92年、金沢でも在日コリアンと市民運動家らの手により「尹奉吉義士殉国紀念碑」や「暗葬之跡碑」が設置された。金沢ではその後も、有志による尹への顕彰・慰霊活動が行われてきた。 ■地元の努力が無になるなら本末転倒 今回問題となっている尹の「記念館」設置運動は、必ずしもこれらの人々の活動の延長線上にはない。中心となっているのは、韓国国営放送KBSでプロデューサーを務め、現在はユーチューバーとして活躍する人物で、現地の在日コリアンや市民団体と連携はない(この人物は、尹の記念館や追悼館ではなく日韓交流の歴史を紹介する施設だと日本メディアに説明している)。 「記念館」の設置が予定されているのも金沢市内ではあるが尹との縁のない場所で、地域住民は困惑している。大韓民国居留民団(民団)も、「地域の理解を得ることなく賛同できない」と反対声明まで出している。右翼運動家と目される人物の軽自動車が民団の建物に突っ込むなど、金沢の人々に対する抗議活動が激化していることが、その背景にはある。 「南部の正義」に関する記念碑や施設が異なる価値観の北部で造れないように、歴史の顕彰活動では常に地元の人々の理解が不可欠だ。本国からの「落下傘」的な活動で現地の人々の努力が無に帰するなら、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ない。

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