「フィリピンを拠点とする特殊詐欺グループの『かけ子』役だった」と話す青森県出身の30代男性が、27日までに東奥日報の取材に応じた。男性はだまされ、脅されながら日本に住む高齢者らに詐欺の電話をかけ続けた-と悪事の実態を生々しく語った。被害者に対する気持ちを問うと、返って来た言葉は「申し訳ない気持ちしかない」。 男性が属したグループの一部メンバーが、2022~23年に広域強盗盗事件を起こした「ルフィグループ」。男性はその強盗以前の特殊詐欺に関わった。「こんな犯罪はもうなくしたい。自分の経験が犯罪防止に役立つなら。せめてもの罪滅ぼしに」と今回、東奥日報の取材を受けた。 男性は2019年2月下旬、ツイッター(現X)で「リゾートバイト/月収50万円から/海外で働けます」といった内容の求人情報を見つけた。 男性が連絡を取ると、LINE(ライン)と電話でのやりとりで名前、生年月日、家族構成、実家の連絡先などの個人情報を伝えた。相手側の催促もあり、1カ月ほどでフィリピン・セブ島に向かった。 現地で出迎えたのは両腕から洋風の入れ墨をびっしりのぞかせていた男性。拠点のホテルに着くと異様な光景を目にする。長机に座った30人ほどが、ひたすら携帯電話で話し込んでいた。聞こえてきたのは「警察だ」とか「警視庁特殊詐欺対策課です」と話す声。いわゆる「闇バイト」だった。 「しまった」と思ったが、パスポートはホテル到着後、すぐに「ビザの更新に必要だから預かっておく」と言われて渡してしまっていた。グループが雇ったフィリピン人の用心棒が銃と手錠をちらつかせ監視の目を光らせていた。 男性は狙いをつけた相手に最初に電話する「1線」という役回り。「要は下っ端。相手が(話に乗りそうな)高齢者が出た場合は『2線』の警官役などにつなぐように指示された」 さらに話が進むと、今度は幹部級の「3線」が日本で待機する「受け子」に金の受け取りを指示するといった分業制だった。そのため自分が電話をかけた相手がその後、どれほど被害を受けたかなどは一切分からないという。 男性は「できるだけ電話をかけたふりをしていた」と抵抗を試みたが限界があった。見張りの監視はきつく「殴る、蹴るといった暴力が普通にあった」と振り返る。報酬は週に現地通貨の千札で5枚程度。現在のレートで1万3千円程度で、その倍額をボーナスとしてほぼ毎週もらった。 詐欺グループは男性が渡航した19年後半、首都マニラへ拠点を移動。その後、22年ごろから幹部が摘発されるとグループは自然消滅したという。ただグループ幹部らが、今度は規律の緩いフィリピン国内の収容先から日本に指示を飛ばし、数々の強盗事件を引き起こしたことを後で知った。 帰国は昨年5月。パスポートを奪われていたため、グループ解散後もすぐに戻れなかったという。成田空港に到着直後、大阪府警特殊詐欺課の警察官から事情聴取を受けた。現在まで逮捕はされていないが、免罪符を与えられたとは思っていない。 帰国後、父親からかけられた言葉が今、重く心に響く。「ばかまねして(ばかなことをして)」 ▼暴力で支配、逃走には制裁 男性は詐欺グループのメンバーについて、見たところ60人ぐらいで年齢層は10代後半から50代まで-と証言する。女性も10人程度。入れ墨を入れたこわもての男も相当数いたと記憶している。 嫌気が差し、隙を見て逃げ出すかけ子もいた。だが成功するケースはまれ。グループに雇われた用心棒が執拗(しつよう)に追跡した。逃げ切れなかった場合は悲惨だった。「『日本に帰りたい』と言っていた男性が逃走に失敗した。山に連れて行かれると、裸にされ後ろ手に手錠をかけられ、ボコボコに殴られた。正座したまま血だらけになった写真を後で見せられた」 男性の記憶では「逃げて殺された」という話は聞いたことがない。ただフィリピン国内のどこかの工場に売り飛ばされたことはあったと聞く。「一生働かせて日本に帰さないようにするということだった」 犯罪と知りながら、ひたすら高齢者らに電話をかけ続ける日々。極度のストレスを感じる人間も少なくなかった。自暴自棄なのか「普通にクスリをやっている人がいた。臭いで分かるから。フィリピンではもちろん御法度だが…」。男性はたばこや酒で気を紛らわすしかなかったという。