【詳報】だまされ「かけ子」に フィリピン拠点に特殊詐欺 青森県出身の30代男性「申し訳ない気持ちしかない」

「フィリピンを拠点とする特殊詐欺グループの『かけ子』役だった」と話す青森県出身の30代男性が5月、東奥日報の取材に応じた。男性はだまされ、脅されながら日本に住む高齢者らに詐欺の電話を掛け続けた-と悪事の実態を生々しく語った。被害者に対する気持ちを問うと、返って来た言葉は「申し訳ない気持ちしかない」。 男性が属したグループの一部メンバーは、2022~23年に広域強盗事件を起こし世間を震撼(しんかん)させた「ルフィグループ」。男性はその強盗以前の詐欺に関わった。後悔の念は強く「自分の経験が犯罪防止に少しでも役立つなら。せめてもの罪滅ぼしに」と東奥日報の取材を受けた。 男性は細身で中背、ごく普通の風体だ。犯罪に積極的に手を染めるタイプには見えない。青森県内の高校を卒業後に上京。主に飲食業に携わった。10年ほど前に帰郷し、営業職に就いた。もっと実入りの良い仕事をと考えていた2019年2月下旬、何気なしにのぞいたツイッター(現X)で「リゾートバイト/月収50万円から/海外で働けます」といった内容の求人情報を見付けた。雇用主の名称等はなく、仕事の詳しい内容は不明だった。 男性は仕事をしたいとツイッターに書き込むと、すぐに連絡がありLINE(ライン)と電話でのやり取りに移行。行き先はフィリピンだった。高収入に加え、行き帰りの飛行機代が出て住居も保証される好条件。海外は初めてだが「まとまった休みを取れ日本に帰省もできる」との言葉に気持ちは動いた。「今の給料の倍以上になる。このまま日本にいても何も変わらない。だったら一回チャレンジしよう。行くなら若いうちだ。何年か働いて稼いで日本に戻れば良い」。気持ちは前のめりだった。 現在に比べ特殊詐欺についての報道、警戒を促す情報は少なかった-と男性は思い返す。リゾートバイトの求人もインターネット上に多く出ていた。自分がだまされ犯罪の片棒を担ぐことになるとは、この段階で夢にも思わなかった。 名前、生年月日、家族構成、実家の連絡先、携帯電話の番号、免許証といった個人情報を求められ、何の疑いも持たず各情報をグループ側に伝えた。「いつ来られるのか」と催促めいた言葉もあり、パスポート取得など渡航準備を急いだ。 最初のやり取りから1カ月余、男性は成田空港から出国。同様に求人募集に応じた20代ぐらいの中国地方出身の男性と一緒だった。この男性の名前は最後まで知らずに終わった。今も行方は分からない。 行き先はフィリピン中部のセブ島だった。 ◇ 待ち合わせとなった空港の喫煙所で出迎えた男性はサングラスをかけ、両腕からヒマワリなどの花をデザインした洋風の入れ墨をびっしりのぞかせていた。後で分かったが男は「箱」と呼ばれる20~30人単位のグループを束ねるリーダー格。後日逮捕され、全国ニュースでも度々報道された人物だった。 空港を出て乗ったタクシーの行き先は、セブ島有数のにぎわいを見せる大型ショッピング施設「アヤラモール」から歩いて5分程度の豪華なホテルだった。建物は8階建て程度と記憶する。上層3階はほぼ貸し切り。ホテル到着後、連れて行かれたのは吹き抜けとなっていた最上階にある会議室のような部屋だった。二つあった。 長机が十数脚あり、机一つに椅子が3~4脚。30人ほどがひたすら携帯電話で話し込んでいた。通信販売の顧客に対応するコールセンターに見えた。ただ「異様な雰囲気。皆が結構、ばかでかい声で通話口に向かって話し込んでいた」。聞こえてきたのは「警察だ」とか「警視庁特殊詐欺対策課です」と話す声。案内役の男は言い放った。「こういう仕事だよ。日本に電話をかけてお金を取る仕事だ」。闇バイトだった。 「しまった」。だがパスポートはホテル到着後、すぐに「ビザの更新に必要だから預かっておく」と言われて渡してしまっていた。グループが金で雇った用心棒のフィリピン人が銃と手錠ををちらつかせ監視の目を光らせていた。「やばいと思ったが、もはや軟禁。逃げられない状況だった」。男性はすぐに「仕事」に取りかからざるを得ないと悟った。 男性はその場でメンバーに自己紹介をさせられた。案内役の男から「本名は名乗るな。お前は『ミカミ』だと名乗れ」という事前の指示に従った。 箱はA、B、Cの三つあり、リーダーはそれぞれ別。男性はBに属した。 有料の電話帳アプリを基に最初に電話する「1セン」という役回りだった。「要は下っ端。相手が(話に乗りそうな)高齢者が出た場合は『声が良い』といって『2セン』の警官役などにすぐつなぐように指示された」 さらに話が進むと、今度は幹部級の「3セン」が日本のファストフード店やファミリーレストランで待機する「受け子」に金の受け取りを指示するといったような分業制だった。そのため自分が電話をかけた相手がその後、どれほど被害を受けたのかなどは一切分からないという。1人で1、2、3セン全てを担い1週間で億単位の金をむしり取る「すご腕」のメンバーもいた。 男性によると「方言が強い沖縄以外すべて」が詐欺の対象地域。ただ首都圏でも「電車が不便な所は避けた」という。「さすがに嫌だった」と古里青森への詐欺電話は何とかかけないようにした。 ◇ 仕事は午前8時から夕方5時ごろまで。1週間休みなしも頻繁にあった。休憩時間はなく、食事は仕事が一段落ついた時点でおのおの、出前や近所のコンビニで買っていた。朝、夕食も各人任せだった。報酬は週に現地通貨の千ペソ札で5枚程度。現在のレートなら1万3千円程度で、その倍額がボーナスとしてほぼ毎週あった。箱ごとに「最低でも週に1千万円のノルマもあった」という。 だまし取った金の相当部分は、幹部クラスに渡っていたと聞いた。幹部はカジノに寝泊まりして豪遊。1週間で億単位の金を「溶かす(損をする)こともあったようだ」と語る。 ◇ 男性が見たところ詐欺グループのメンバーは60人ぐらいで年齢層は10代後半から50代まで。女性も10人程度はいたと記憶する。入れ墨を入れたこわもての男も相当数いた。 「自分のようにだまされて連れて来られた人間が半分。あとの半分は元暴力団員や日本で特殊詐欺など犯罪に加担して逃げてきた人で『帰ったら逮捕されるのでフィリピンで一生過ごそう』と思っているようだった」。後者は詐欺行為への心理的ハードルが低いとも感じた。 男性は精いっぱいの抵抗を試みた。「嫌だった。やりたくなかった。できるだけ電話を掛けた振り、つながった振りをしていた」。ただそれも限界があった。見張り役が「仕事」の進展をチェックするため見回りに来る。さぼっていると見られるや「やってるのか、おら」と怒声が飛び殴る、蹴るといったように「暴力は普通にあった」。男性も何度か制裁を食らった。 嫌気が差し、隙を見て逃げ出すかけ子もいた。だが成功するケースはまれ。グループが金で雇った地元のギャングが執拗(しつよう)に追跡した。逃げ切れなかった場合は悲惨だった。「『日本に帰りたい』とずっと言ってた同じ箱の人間が逃げようとして失敗した。山に連れて行かれると、裸にされ後ろ手に手錠を掛けられ、ボコボコに殴られた。正座したまま血だらけになった写真を後で見せられた」。見せしめだった。 男性の記憶では「逃げて殺された」という話は聞いたことがない。ただフィリピン国内のどこかの工場に売り飛ばされたことはあったと聞く。「一生働かせて日本に帰さないようにするということだった」 犯罪と知りながら、ひたすら高齢者らに電話を掛け続ける日々。極度のストレスを感じる人間も多かった。自暴自棄なのか「普通にクスリをやっている人がいた。においで分かるから。フィリピンではもちろん御法度だが…」。男性はたばこや酒で気を紛らわすしかなかった。 ◇ ホテルでの仕事は数カ月ほどだった。グループのメンバーが飲食街で飲酒絡みのトラブルを起こしたことなどもあり、その後は首都マニラに拠点を移動。今度はホテルではなくメンバーが分散し、1軒家などを転々としながら活動は続いた。「日本人が集団で何かしていると地元でうわさが立つと、また別の場所に」というスタイルへと変わった。 男性が組織に属したのは3年余。22年ごろから幹部が摘発されフィリピン国内で収監されるとグループは自然消滅した。メンバーもばらばらになったという。 ただこの幹部らが、今度は規律の緩い収容先から日本に指示を飛ばし数々の強盗事件を引き起こしたことを後で知った。 男性はパスポートを奪われていたため、すぐに帰国はできなかった。「どうすればいいのか分からなかった」。自力で帰国方法を調べ、現地の日本大使館に駆け込み、日本に戻ったのは昨年5月だった。入国から5年が過ぎていた。 帰国前、自ら警視庁に電話していたこともあってか成田空港に到着後、警察による事情聴取が待っていた。担当したのは大阪府警の警察官だった。仕事内容の確認のほか、幹部クラスと見られる人物の顔写真が入ったファイルを見せられ「こいつを知っているか」などと何度も聞かれた。事情聴取は数時間に及び、自分が知っていることは全て話したつもりだ。 男性は現在までに逮捕はされていない。「容疑を固める十分な証拠がないからなのか…」。ほっとした気持ちの半面、免罪符を与えられるとも思っていない。取材を受けたことについて「不快感を持つ人は多くいると思う」と自覚する。 帰国後、地元の父親から掛けられた言葉が今、重く心に響く。「ばかまねして(ばかなことをして)」

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