今年は香港の国家安全維持法(国安法)の制定から5年を迎える。従来、香港は一国二制度のもと、中国本土とは異なり言論・結社の自由が認められた社会(=中国の悪口を言っても別に構わない社会)だったが、2019年6月から大規模な反体制運動(以下「香港デモ」)が発生。翌年6月30日、それらの動きを根本的に覆すべく、北京の決定のもとで国安法が成立した。 以降、香港では往年の体制に批判的な人物の逮捕・亡命が相次ぎ、民主派の政党や各種の社会運動団体もほとんど解散に追い込まれた。結果、日本の香港関連報道は現在にいたるまで「自由を失った街」「弾圧の対象」みたいな話で塗りつぶされている。事実、そう言われても仕方がない悲惨な事態が発生してきた。 ……とはいえ、定型句が繰り返される報道の陰で、現地の感覚が見えなくなったのも確かである。香港には現在も750万人が住んでいる。国安法後に亡命した人も多いが、住民の大部分は入れ替わってはいない。人々の日常は続いているのだ。 私は香港デモの当時、運動の最序盤から末期(コロナ禍初期)まで現場に密着していたが、その後はコロナ禍と国安法の影響で、ながらく足が遠ざかっていた。しかし今回、7月7日から2泊3日の日程で、「ただの旅行」に行くことになった。この原稿は、香港を5年ぶりに歩いた私の雑感である。(全2回の1回目/ 続きを読む )