俳優渡辺哲(75)がひとり芝居「カクエイはかく語りき」(8月23、24日に新潟・柏崎市文化会館、9月9~15日に東京・下北沢ザ・スズナリ)を上演する。今太閤と呼ばれ国民的人気を博しながら、ロッキード事件で刑事被告人となり、1993年(平5)に75歳で亡くなった田中角栄元総理の生きざまを演じる。2018年(平30)の上演作に角栄元総理が亡くなった75歳になって、7年ぶりに挑む心境を聞いてみた。 ◇ ◇ ◇ 田中角栄は72年に54歳の若さで内閣総理大臣になった。 「その頃、僕は22歳」 93年に亡くなったが、数年前に田中角栄ブームが起こった。 「あれは何年前かな。2018年の生誕100年を前にしてだったのかな。それで、その頃に石原慎太郎さんが『天才』(16年)というのを書いている。慎太郎さんは、政治的には角栄さんと逆の立場だったけどね。角栄さんの本がいっぱい売れたというのは、みんな角栄さんを懐かしく思ったのかな」 今年は6月に東京都議選、7月に参議院選があった。 「芝居の中にも都議選の話が出てきます。昭和48年(1973年)の都議選の話がちょっと出るんですけど、今とは全然違います」 田中角栄は高等小学校卒で新潟から上京。専門学校に通って、土建屋になり、政治家になった。大蔵官僚を使いこなし、子分をたくさん集めて日本の総理になった。だが、2年5カ月で金権問題で政権を放り出し、闇将軍と言われた。85年2月に脳梗塞で倒れ、93年12月に亡くなった。 「そうですね、総理をやったのは2年とちょっとです。でも、日本をすごく愛してたという、僕にはそういう見方もあるんですよ。それと、金権だ、金権だと言われますけど、ライバルだった福田(赳夫)さんもですけど、周りは東大とか官僚ばっかりの時代ですからね。(57年に)最初に郵政大臣になった時、本当に学歴がないっていうのは、彼だけですから」 現在、日本のテレビ業界に問題が頻発してネットの時代になった。テレビ局の放送免許はなくてもいいのではないかと言われるようにもなった。郵政大臣時代の田中角栄は、民放テレビ局に次々と放送免許を与えて開局させた。 「今のテレビ局の形を作ったのは、田中角栄さんが郵政大臣の時でしたね。そこら辺での功績というか、ものすごいものが本当はあるんです。あんまりそこら辺はクローズアップされていないんですよ。ロッキード事件というのがあって、金権、金権って、お金のことばかり言われてますけど。最近も、そういう事件がありましたけど、お金のことでたたいたりするっていうことが、世の中では大きいわけで。本当はいけないんだろうけど、でも必要悪はあってはいけないのかなと僕は思っています。僕は、角栄さんはアメリカにはめられたんじゃないかと思っています」 ロッキード事件は、76年2月にアメリカ上院の公聴会で発覚した。ロッキード社の航空機売り込みをめぐる汚職事件で、田中角栄は内閣総理大臣在職中の罪に問われ、同年7月26日に受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕された。受け取った金は5億円とも言われた。航空機売り込み工作を証言した元ロッキード社副会長のコーチャン氏に対して、日本の検察が刑事免責を与えて米裁判所が嘱託尋問を行った。 「免責って変ですよね、おかしいですね。責任がないんだから、何しゃべったっていいんだから。責任は取らない免責っていうのが、どういうふうに仕組まれたのか分かりませんけどね。総理大臣時代には金権選挙で300億円ぐらい使ったという話でね。だから、たかだか5億円っていう見方もあるんですね。本人は本当に知らないかもしれなくても、責任を負うようになっている。今となっては、全ては闇だから。政治というか、世の中の仕組みって面白いですよね。裁判自体も、途中で角栄さんが亡くなったことで終わっちゃって、びっくりしました。被告人がいなくなっちゃうと、裁判もなくなっちゃうわけですからね」 (続く) ◆渡辺哲(わたなべ・てつ)1950年(昭25)3月11日、愛知県常滑市生まれ。東京工大中退。75年「劇団シェイクスピア・シアター」旗揚げに参加。85年「乱」で映画デビュー。91年(平3)に映画「アンボンで何が裁かれたか」。双子の息子は俳優本多英一郎(47)とプロレスラーのアントーニオ本多(47)。181センチ。血液型A。