ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく! * * * 自民党の歴史的大敗で終わった2025参院選挙。その中でも、鈴木宗男氏の今回の選挙は壮絶だった。 鈴木氏は2002年、「国策捜査」とも呼ばれる数々の疑惑によって自民党を離党。東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所へ。公判中に「新党大地」代表として衆院選に比例で当選したものの、その後、実刑判決確定で刑務所に服役した。 公民権停止が満了した2017年には衆院選で落選。2019年に日本維新の会から参院選に出馬して当選。しかし、党へ事前届なくロシア訪問したことが問題視され、離党。無所属で活動していたが、自民党に復帰するために議員辞職した。 そして、今回の参院選にて23年ぶりに自民党に復党し、比例区で出馬。午前4時半すぎには落選が確実となり、札幌の事務所で記者会見。「全ての責任は私にある」と引退を表明することになった。 しかし、それから約8時間後、比例代表の最終当選者としてその名を連ねることに。引退宣言から一転して、当選したことに本人も「奇跡だ」と涙ながらに語った。 波乱万丈の人生そのままの選挙展開。6月30日に開かれた『鈴木宗男を叱咤激励する会』にて盟友・松山千春氏が振り返った初当選の話を思い出す。 鈴木氏が最初に立候補したのは1983年の衆院選。選挙最終日、松山氏も含め事務所にいた全員が、確実に落選だと落ち込んでいたそうだ。その時、鈴木宗男氏はこう言った。 「全ての責任は私にある」 しかし、結果は当選。その時のシーンが42年ぶりに繰り返されたのだ。 そして、かつて鈴木氏はこう言った。 「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そして『まさか』」 その『まさか』が、来た。その坂は下るのではなく、上り坂だ。 そんな鈴木氏の盟友のひとりである佐藤優さんに、鈴木氏の今後の動きについて聞いてみた。 ――鈴木宗男先生の今後の予定はどうなっているのでしょうか。