乗客乗員520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は12日、発生から40年となった。遺族や関係者らは、群馬県上野村にある現場「御巣鷹の尾根」を慰霊登山し、墜落地点の尾根に立つ「昇魂之碑」で黙とう。亡くなった人たちを追悼し、空の安全を祈願した。宝塚音楽学校の同期で親友を亡くした女優の黒木瞳(64)は40年足を運べなかった現場を訪れ「やっと来られた」と涙を浮かべた。 24歳で命を落とした宝塚歌劇団出身の女優・北原遥子さん(本名・吉田由美子さん)を悼み、慰霊登山した黒木。これまでは事故を認められず現場を訪れることができなかったというが「そろそろちゃんと会いに行かなきゃ」と決意して慰霊登山に臨んだ。40年の節目に足を運べたとし「こんな山の中で、しんどかっただろうな」と言葉を詰まらせた。 音楽学校で同期の67期生だったバレエ講師文月玲さん(63)や自営業小乙女幸さん(65)らとともに尾根に立つ「昇魂之碑」に線香を手向け、手を合わせた。北原さんの墓標付近の石碑を丁寧に拭いた後、墓標にスミレのブーケを供えると涙ぐむ場面も。最後は、音楽学校の校歌を尾根に響かせた。 北原さんは、1979年に黒木や涼風真世(64)真矢ミキ(61)らと音楽学校に入学。美貌の娘役で将来を嘱望された。同期生によると、北原さんは寂しがり屋で甘えん坊。同期で一番奇麗で誰よりも努力家だったという。 黒木とは厳しい稽古の中、目標に向かって努力する姿に互いに共感。「親友」と認め合い、休みの日に京都や淡路島、姫路城など一緒に旅行をした。北原さんは84年に歌劇団を退団したが、CMやドラマの仕事が決まり、女優としての未来が広がっていた。 85年8月12日の事故当日、東京宝塚劇場でサヨナラ公演の舞台に出ていた黒木の楽屋に北原さんから電話があった。「これから大阪に行く」という北原さん。翌13日に帰京して黒木の舞台を見に来る予定だったが「明日、東京に帰ってこられないかもしれない」と冗談めかして話した。これに黒木は「明日飲もうよ」と応じ、翌日に会う約束をしたやりとりが最後となった。 北原さんの葬儀では、歌劇団の仲間に支えられて参列した黒木の姿が見られた。御巣鷹の尾根には登れなくても、北原さんの墓参りは毎夏欠かさず続けてきた。 「風化させてはいけない」。その思いを胸に、標高1500メートル超の尾根に立つ「昇魂之碑」前では遺族らとともに鐘を鳴らした。黒木は「40年の歳月が登る気持ちにさせてくれた。由美ちゃんに恥じないよう彼女の分まで生きる」と誓った。 ▽日航ジャンボ機墜落事故 1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。単独機事故としての死者数は世界の航空史上最悪。87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、78年のしりもち事故で米ボーイングが圧力隔壁を修理した際にミスがあったことが原因と結論付けた。 85年は巨額詐欺事件で社会 問題となっていた豊田商事の会長が刺殺されるなど、大事件、大事故が世間を騒がせた。9月11日には妻が不審死した「ロス疑惑」で三浦和義氏が逮捕され、同日、女優の夏目雅子さんの訃報も伝えられた。スポーツ界では、プロ野球・阪神が21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一を達成した。