頂き女子りりちゃんをめぐる「ガチ恋」と「推し活」の構造 ノンフィクション『渇愛』が直視する現実の痛み

「ガチ恋」と「推し活」のすべてが書かれている書籍である。いや、別に著者の宇都宮直子は「ガチ恋」や「推し活」について書こうとしたわけではないだろう。しかし、「頂き女子りりちゃん」こと渡邊真衣受刑者(以下、りりちゃん)を描いた『渇愛 頂き女子りりちゃん』(小学館)は、新宿・歌舞伎町のホストをめぐる構造に内在する「ガチ恋」や「推し活」についても言及することになった。 私は本書を、Real Soundから書評の依頼が来る前に、すでに購入して読み終えていた。それは、私の尊敬するジャーナリストである森健が「とくに拘置所のある名古屋に部屋を借りてまで被告人への面会取材を重ねる熱量は異様。作品としての力がある」と評していたからだ。 実際、宇都宮直子は、名古屋拘置所にいるりりちゃんに20回以上も面会し、そのために名古屋市内に部屋まで借りている。宇都宮直子は、「女性セブン」「週刊ポスト」の記者であり、週刊誌記者の多忙さは容易に想像できる。そもそも宇都宮直子は、週刊誌のネタを集めるために歌舞伎町に住み込んでいたが、そこである女性の存在を見聞きすることになる。歌舞伎町の有名人、りりちゃんである。 本書を貫くのは、宇都宮直子が会ったりりちゃんの生々しい描写だ。初めて会ったりりちゃんは、顔が紅潮するほどハイテンションで話し、そこに「本人は気づいていないようだが、後ろで話を聞いていた係員はあからさまに怒りの形相となっている」という描写を添えるところは、「技あり」と感じる箇所である。 一方で、りりちゃんと一緒に逮捕されることを覚悟し、実際に逮捕された「担当」ホストについてりりちゃんに聞くと、彼女は「人生疲れていたから(逮捕されたん)じゃないですか?」と言い放ち、歌舞伎町の「美談」をあっさり足蹴にしてみせる。りりちゃんのこうした言動の読めなさが、本書の最後の最後まで続く。りりちゃんは、読者の求めるような物語性を拒絶していく。それでいながら、相手の求める答えや興味を示しそうな話題を敏感に察知して先回りする姿も描かれる。 宇都宮直子は、りりちゃんと面会を重ね、手紙をやり取りし、心配になれば電報を送り、新幹線で駆けつける。「記者としての規範を逸脱しているのでは」と周囲に言われるほど、宇都宮直子自身がりりちゃんに没入していた。なにしろ、「気がつけば、彼女は何を喜ぶだろうと思いながら、いつも街を歩くようになっていた」と記すほどなのだから。 しかし、「疑似母娘」とまで宇都宮直子が書けるのは、本書の執筆時点ではすでに客観性を取り戻していたからだ。それは宇都宮直子が、りりちゃん以外の重要人物に会っていることも大きいだろう。被害者と、りりちゃんの母親である。あえて言うならば、自身の空虚さをりりちゃんで埋めていた宇都宮直子が、ジャーナリストとしての顔を取り戻していく過程であり、それが赤裸々に綴られているのも本書の読みどころのひとつだ。りりちゃんの母親は言う。「真衣も、私も、すべての行動の理由と目的が『人に好かれること』」だと。救いはない。 本稿の冒頭で、「ガチ恋」と「推し活」のすべてが書かれていると記したが、それは歌舞伎町でのりりちゃんを知る人々に宇都宮直子が会うことで得られた知見によるものだ。りりちゃんは、「おぢ」をガチ恋にして金を騙し取ったが、ホス狂いあおいは「彼女の作ったマニュアルって、よく見ると、彼女がホストたちからされたことを、そのままカモになりそうな男性に『やり返してる』だけなんですよね……」と核心を突く。女性たちは「担当」の夢を応援していたはずが、結局は付き合ったり結婚したくなったりする。そう、無償の愛はない。そうしたガチ恋を、男女で反転させたのがりりちゃんだった。 りりちゃんのTO、つまりトップオタクであるアーティストの増田ぴよろは、「りりちゃんと自分の境目がどんどんなくなってきちゃっていた」と振り返る。「りりヲタ」たちのコミュニティについて、宇都宮直子は「女性たちが孤独な毎日から逃げ込むりりちゃんを頂点としたアジールのようだ」と述べ、「『りりちゃん』と『りりヲタ』たちの関係は、ホストと客の関係では成立し得なかった『推し活』の〝理想郷〟のようにも見える」と表現する。たしかに、好きな対象から搾取されることなく、孤独な毎日から逃げ込める場があるのなら、それが「推し活」の理想郷以外のなんだと言うのだろうか? なお、りりちゃんの逮捕後に、彼女に面会に行ったりりヲタコミュニティのメンバーは少なかったことも記されている。 本書は、ある意味でバッドエンドである。りりちゃんに「新たに信頼する人」が登場し、彼女が支援者による「被害弁済プロジェクト」に不信感を持つようになったことで、被害弁済プロジェクトは解散する。本書の後味は非常にビターである。その苦みを読む者にありありと感じさせるのは宇都宮直子の筆力あってこそのものだ。りりちゃん本人はもちろんのこと、被害者、母親、支援者、さらには最後の「担当」まで、周辺人物に入念に取材を重ね、複眼的な視点を持つことに成功し、救いのあるストーリーへと回収することもせずに、現実を直視する痛みに耐えたのが『渇愛 頂き女子りりちゃん』である。宇都宮直子自身の血も、本書には滲んでいるのだ。

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