「おとうさんがんばるから」 父がつづった息子への思い 神戸北区高2殺害事件から14年

《平成22年10月6日 昨夜、将太が帰ってきた。家に将太がいないという不安、それに思い知らされた》 そんな書き出しで始まる一通の手記がある。犯罪によりわが子を失った父親がワープロで14年間書きつづってきたその手記は100枚以上に及ぶ。4日で事件から14年。息子を失ったあとのことを記録しようと始めた手記だったが、「いつしか自身の気持ちを息子に語りかけるようになっていきました」と話す。 手記を記したのは堤敏さん(65)。22年10月4日午後11時ごろ、神戸市北区の路上で刺殺された、高校2年の堤将太さん=当時(16)=の父親だ。将太さんは4人きょうだいの末っ子で、敏さんが「(電気工の)仕事を継ぐか」と尋ねると跳び上がって喜び、「ほんまにええの。なんの資格がいるん?」とうれしそうに言ったことをよく覚えているという。 事件直後の22年11月8日の手記にはこうつづった。 《将太…怖かったやろ…痛かったやろ…歩いているあいだお前は「助けて助けて」って言うてたんやな…お父さん助けてやれんかった…ごめんなあ…ごめんなあ…》 事件後の報道で、将太さんが抵抗もできず刺され続けたことを初めて知った。何もできなかった無力感があふれた。 それでも何かできることはないかと考え続けてきた敏さんは翌年の23年7月、決意を記す。 《目的の一番は犯人逮捕のための情報収集、それと事件を風化させないためにも、現場周辺の人にこの犯人の凶悪なこと・残忍なことを印象づけたかった。なにより将太のために事件に向かい合ってあげたい》 《「オトン!!絶対捕まえてや!!敵とってや!!期待してるで!!」って言うてくれよ。おとうさんがんばるから》 それから毎年、情報提供を呼び掛けるチラシを配布し続けた。1日で2千枚も配布することもあった。「絶対に犯人捕まえるからな」と、将太さんにも自身にも言い聞かせてきた。 25年10月、将太さんの命日に多くの友人が自宅を訪れた。 《お前は良い友達をいっぱい持ったなあ…みんな大きくなってるぞ。みんなお前のことを今でもこれからも友達やって思ってくれてるぞ》

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