<特派員の目>北朝鮮へ行くことを望む人々=日下部元美(ソウル)

韓国で長期にわたって服役していた北朝鮮の元兵士や元工作員らが8月、北朝鮮への送還を求める請願を韓国政府に提出した。その一人、アン・ハクソプさん(95)は朝鮮戦争(1950~53年)中に韓国側に逮捕され、転向を拒んで約42年間服役した。記者は2024年11月に南北軍事境界線に近い北西部・金浦市の民間人統制区域を取材した際に会った。 アンさんと思想を同じくする人が区域内には住んでおり、出会った施設内には養子縁組をした娘の美術家が作ったという「反米」や「反資本主義」をモチーフにした作品がたくさん並んでいた。 アンさんは朝鮮戦争を「南北戦争じゃない、朝鮮と米国との戦争だ。米軍は強盗だ」と強調した。日本の植民地支配も厳しく批判。北朝鮮がロシアのウクライナ侵攻に兵士を派遣したのは「うそだ」との主張も展開した。記者と一緒に区域に入った韓国人は「一般的な韓国人の見解だと思わないでください。非常に偏ってますから」と動揺した様子だった。 聯合ニュースなどによると、アンさんは韓国・江華島の出身で、北朝鮮軍に入隊。53年に逮捕されて、95年に出所した。逮捕後、当局から拷問を受け、「歯がほとんど抜けた」。投獄された仲間は精神を病んだり、自殺したりした人も多くいたという。それでも転向しなかったのは「人には政治的生命と生物学的生命があり、政治的生命がなければ動物と同じだからだ」と説明する。 非転向を表明した長期囚を巡っては、00年の南北首脳会談を契機に、63人が送還された。当時、アンさんは「米国が朝鮮半島から出ていくまで闘争する」と送還を拒否した。以降、25年間、送還は行われていない。韓国メディアによると、アンさんは体調が急速に悪化し、「死ぬ前に北朝鮮に行き、埋葬されたい」と送還を望むようになったという。 韓国統一省は人道主義の観点から「検討する」としている。ただ課題は多い。北朝鮮側は公式的な反応は見せていない。北朝鮮は23年に南北を「敵対的な2国家関係」だと宣言し、対話は断絶している。 アンさんの意見には賛成できないことも多かったが、分断の悲劇の爪痕のような存在だ。韓国社会では南北問題への関心は年々、低下しているが、問題は解決していないのだと改めて感じさせられた。

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