サトシ・ナカモトとトマス・ピンチョンの共通点とは? 『ワン・バトル・アフター・アナザー』“16年の隠遁”の意味

ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。 第36回は、暗号通貨ビットコインを生み出したとされるサトシ・ナカモトとトマス・ピンチョンについて。 ■サトシ・ナカモトとトマス・ピンチョン サトシ・ナカモトは、暗号通貨ビットコインを生み出した人物。性別も国籍も年齢も不明と謎の多い人物である。ビットコインの運営初期には中心的な役割を担っていたが、やがて権限を別のエンジニアに譲り、2010年を境に運営から後退し、翌年以降は一切消息が途絶える。 『サトシ・ナカモトはだれだ?: 世界を変えたビットコイン発明者の正体に迫る』(ベンジャミン・ウォレス著)は、その行方を追うノンフィクションだ。この本では、ナカモトに重ねられる存在として、作家トマス・ピンチョンの名が挙げられている。 ピンチョンは、現代アメリカを代表する小説家で、インタビューを受けることも、顔写真を公開することもない。代表作『重力の虹』(1973)は重厚かつ難解な長編として知られるが、その刊行後、ピンチョンは長く沈黙した。そして1990年、突如『ヴァインランド』を発表する。この沈黙の期間は16年間。この「16年」という数字を、記憶にとどめておいてほしい。 ポール・トーマス・アンダーソンの新作映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の序盤は、レオナルド・ディカプリオ演じる主人公と、テヤナ・テイラー演じる黒人女性の恋人が革命に突き進む物語として始まる。2人は過激派グループ「フレンチ75」に所属し、難民収容所や銀行、送電線施設を襲撃している。やがてテヤナは逮捕され、当局に情報を漏らしてしまう。一方のディカプリオは、組織の支援を受けて逃亡生活に入る。彼はテヤナが残した娘を育てながら、ひっそりと暮らしている。 ビールを飲み、マリファナを吸うだけの毎日。かつての革命家も、隠遁を続ければただの中年男になる。娘にはスマートフォンを持たせない、頑固な父親でもある。ただし、それには理由がある。政府の追跡や電話の傍受を避けるためだ。彼自身も、身元を隠すために組織から渡された旧式の大きな携帯電話を使っている。 映画の中で「通信」と「監視」が繰り返し登場するのは、この作品がピンチョンの『ヴァインランド』を原案としているからだ。舞台は1980年代。ロックや映画が文化として花開いた1960年代は遠ざかり、人々はテレビが生み出すポップカルチャーに熱中している。その狭間の1970年代は、政府による"電話"の"盗聴"と"監視"が日常化した時代だった。ピンチョンはこうしたアメリカのメディアの変化、つまりカウンターカルチャーの「以前」と「以後」を描いた。もっとも、映画では政治的なテーマは薄められ、「通信」と「監視」というモチーフのみが抽出されている。 むしろ映画は、ピンチョンの初期作『競売ナンバー49の叫び』(1966)をよりはっきりと参照している。この小説には「対抗郵便網」と呼ばれる反体制的ネットワークが登場する。政府の目を逃れ、通信網を介して活動を続ける秘密組織が、数百年前から存在していたという話が登場する。この「対抗郵便網」の発想が『ワン・バトル・アフター・アナザー』に登場する「フレンチ75」の原型だろう。 さて、16歳になった娘が当局にさらわれ、「フレンチ75」がそれを取り戻す。ディカプリオは娘の居場所を聞き出すため、番号を思い出し、「フレンチ75」の窓口に電話をかける。「今何時か?」の問いに、合い言葉で返答をしなければならない。ただ16年も現場を離れていた彼は、合い言葉を忘れてしまっている。ちなみに、ディカプリオの16年の隠遁は、ピンチョンが沈黙した16年に重ねられているのだろう。 「フレンチ75」がどのような地下組織なのかは詳細に描かれないが、電話番がいるのだから、それなりの規模の組織ではある。そして、合い言葉なしには何一つ話を聞き出すこともできない。理念への賛同だけでなく、セキュリティーにも厳しいがちがちの左派組織だ。どんな組織も、時間の経過とともに官僚制が忍び込んでくるということだろう。 さて、この堅苦しい秘密組織と暗号通貨には、共通点が多い。キーワードは、セキュリティーと反中央。ビットコインは「秘密鍵」のデータを失うと一切使用できなくなる。セキュリティーは、ビットコインの肝の部分でもある。 リバタリアンは、政治・経済・社会のあらゆる領域で個人の自由を最大限に尊重する人々だが、それを突き詰めた先に「暗号無政府主義者」がある。暗号技術によって政府や権力から個人を守り、国家の干渉を排除しようとする思想。そもそもリバタリアンとテクノロジーの相性はよい。リバタリアンは、感情に左右され、めんどくさい関係を強いる人間が生み出した共同体(国家や役所)より、機械のほうが信用する。まったく同感だ。 サトシ・ナカモトもリバタリアンの思想をもつ技術者たちの1人で、政府から距離を置き、管理の組織を(基本)必要としない通貨がもたらす暗号の地下網を生み出した。この通貨には、中心が必要ないがゆえに創案者自らも姿を消す必要があった。ただ、あまりに見事な消えっぷりゆえにサトシ・ナカモトの名前は、トマス・ピンチョンを超える知名度を得るに至ったのだ。計算だったのか、不本意だったのか。 名前や顔が隠されると、受け手はその人物を抽象化された存在として受け取めていく。サトシ・ナカモトもトマス・ピンチョンも、匿名性を通じて生まれた有名性を帯びる人物になるというのは皮肉な話。匿名性はカリスマに転じることもある。サトシ・ナカモトの話は、これだけなんでもさらし上げされてしまう現代にいながら、よく特定されずに逃げ切った。そこに感心してしまう。もうひとつ、現代の重要なこと。パスワードは忘れたら何もできないということ。パスワードは大切にね。

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