「私に忍耐を植え付けてくれし月明かりの奥深く映る森の中の故郷の道/故郷の道が教えてくれし希望と忍耐を祖国の山河の上に撒いておき、その日に改めて訪ねん」 2014年に朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)によって最高裁判事候補に指名されたチョ・ヒデ最高裁長官は、国会の人事聴聞会で中学生時代に書いた詩の一節を紹介しつつ、「感無量だ」と感想を述べた。「45年前、山奥の故郷の道を歩きながら大きな志と希望を抱いていた少年が今日、最高裁判事候補となり、国民の代表である国会議員の前に立ちました。(中略)国家と国民のために奉仕するという厳粛な気持ちを抱かざるを得ません」。しかし、「国民のために」奉仕するという誓いは色あせ、彼は今、司法壟断事態のヤン・スンテを抜いて、国民の不信を最も多く買った最高裁長官として記録される危機にある。 2025年の秋夕(チュソク)のころに実施された世論調査に、それはよく表れている。9月24日に発表された韓国社会世論研究所(KSOI)の調査では、最高裁長官は「辞任すべきだ」という意見が29.0%、「弾劾すべきだ」という意見が16.4%だった。合わせれば45.4%で、「職を維持すべきだ」の39.9%より高い。10月初めにSBSが世論調査機関イプソスに委託した調査では、「辞任すべきだ」が48%で、「辞任すべきでない」の35%を大きく上回った。またMBCがコリアリサーチに委託した調査でも、辞任すべきが47%で、「辞任の必要はない」の39%を上回った。 民主党が「欠点がないのが欠点」と絶賛した理由 彼が最高裁判事になった11年前はまったく様子が異なっていた。2014年2月18日に行われた国会人事聴聞会で、当時野党だった共に民主党のパク・ポムゲ議員は、「欠点がないのが欠点のようだ」と述べた。パク議員は「財産や様々な経歴関係、また家族関係、兵役、税金、1つも欠点がない。もしかしたら昔から、20年あまり前から最高裁判事になることを夢見ていた方ではないかと感じるほど、剛直で清廉な人生を歩んでこられた、徹底して準備されてきたのではないかという思いも消し去れない」と語った。 実際、人事聴聞会で彼が申告した財産は9億ウォンあまりだった。当時、ヤン・スンテ最高裁長官を含む最高裁判事の財産の平均が19億ウォンだったことに比べれば、「清貧」という表現はまったく過ぎたるものではなかった。2023年に最高裁長官に指名された際、彼が申告したのは16億ウォンだった。当時の高裁の部長判事以上の裁判官の財産の平均は38億ウォンであり、彼より前に最高裁長官に指名されたが就任できなかった「尹錫悦(ユン・ソクヨル)の友人」イ・ギュニョンの申告額は72億ウォンだった。高額を所有する資産家が居並ぶ法曹界において、相対的に少ない彼の財産は、「清廉で剛直な文人」というイメージを抱かせた。 イ・ギュニョンに続いて尹錫悦政権の2番目の最高裁長官候補に指名された際にも、彼は十分その恩恵に浴した。最高裁判事時代に「良心的兵役拒否」、「国防部不穏書籍」、「百年戦争」(李承晩、朴正煕の親日行為を追ったドキュメンタリー)事件などで強硬保守傾向をはばかることなくあらわにしたため、司法府の保守化を主導するのではという懸念は強かったものの、彼は清廉さと道徳性を前面に押し出して進歩陣営の反対を軽々と乗り越えた。チョ・ヒデ最高裁長官の任命同意案は、国会本会議で総投票数292、賛成264、反対18、棄権10という圧倒的賛成多数で可決された。当時の国会は、民主党を含む野党が181議席を占めていた。 彼の強硬保守傾向は、見過ごしてよい問題ではなかった。平均的な保守より右に位置する彼が最高裁長官になると、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)両政権で何とか形成された司法改革基調に逆行することをやるのは明らかだった。ヤン・スンテ最高裁長官がそうだった。前任のイ・ヨンフン最高裁長官が推進してきた様々な改革にブレーキをかけたうえ、「帝王的最高裁長官」体制を強化しようとしていた最中に起きた事故が、まさに司法壟断事態であった。 真実和解委の「違法な民間人集団虐殺」決定無視して麗順事件の再審に反対 とりわけ、2019年に最高裁が麗順事件の再審を決める際に最高裁判事チョ・ヒデが示した反対意見は、尋常ではない。司法府の「歴史清算」が気に食わない保守陣営の感情を代弁したのだ。キム・ミョンス最高裁長官をはじめとする多数意見は、1948年の麗順事件で反乱軍に協力した疑いで軍や警察に逮捕されて銃殺された民間人が、令状もなしに違法に逮捕・監禁されたことをあげ、再審開始を決めた。しかしチョ・ヒデは最高裁判事イ・ドンウォン、パク・サンオク、イ・ギテクと共に、「検事、警察官、軍人が違法行為をしたという証拠がない」との理由で反対した。すでに2009年に真実・和解のための過去事整理委員会が4年あまりの調査の末、軍や警察による違法な民間人集団虐殺であったと規定していたにもかかわらず、それを認めなかったのだ。 彼は「麗順事件について人権じゅうりんや虐殺などがあったという真実究明があり、それによる歴史的評価が行われたが、そのような歴史的評価は特定の個人の具体的な犯罪行為の証明を代替するものではない。(中略)逮捕・拘束が犯罪行為に当たるかどうかに関して、有罪を認めるほどの証明が十分でないにもかかわらず、軍や警察が職務に関する罪を犯したことが証明されたとは言えない」と述べた。刑事裁判で要求される「犯罪の厳格な証明」を、再審の可否を判断する際にも適用すべきだ、と主張したのだった。 しかし、民間人である再審請求者に国の捜査機関水準の証拠収集を求めるのは、そもそも再審など請求するなということと同じだ。麗順事件の犠牲者の遺族は、「アカの家族」だというレッテルを恐れて被害事実を隠して生きてきた。彼らがレッテルを貼られながら軍、警察、検察の違法行為を証明する証拠を積極的に収集するのは不可能に近い。チョ・ヒデの反対意見に対してキム・ジェヒョン、キム・ソンス、キム・サンファンの各最高裁判事は補充意見を示して「無実の民間人が国の公権力によって大量に、集団的に殺害された事件について、捜査機関が犯罪容疑を捜査した後に起訴し、有罪判決が下されたケースと同水準の証明を遺族個人に要求するのは不当だ」と批判した。本質を曇らせる法技術で独裁政権を支援したという裁判所の過ちを正すのを妨害してはならないというのだ。 「司法府の過去の過ち」再審に反感を示した保守法曹界 再審は、司法府の歴史清算のやり方の中で最も消極的なものだ。盧武鉉政権が権力機関の歴史清算作業を推進した際に最高裁長官に任命されたイ・ヨンフンは、外部機関による方法は司法権の独立の侵害の素地があるとして「再審を通じて誤った判決を正す方法しかない」と述べた。だが、再審は開始理由が非常に厳格なため、裁判所ではなかなか認められない。裁判所は、再審の敷居を低くする努力はしなかった。そのため進歩陣営の反発を買ったが、保守陣営は再審すら「司法ポピュリズム」だとして反感を示した。 2005年12月に人革党再建委事件の再審が決定されると、ハンナラ党の朴槿恵議員(当時)は「明白な政治攻勢であり、私を標的にしたもの」だとして、「前回も法に則ったものであり、今回も法に則ったものだが、法のうちの1つが誤っているのではないか。今後、歴史と国民が評価するはず」と述べた。2008年9月の司法60周年記念式に出席した李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)は、過去の反省を強調したイ最高裁長官の前で、「司法のポピュリズムは警戒しなければならない」と警告した。最高裁の内部からも反発が起きた。イ・ヨンフン体制で裁判所行政処長を務めたキム・ヨンダム最高裁判事は2009年9月に出版した自叙伝で、「責任を取るべき人々が全員去った時点で(中略)過ちに対する責任追及ではなく、別の目的を達成するためのものなら、それは司法の侵害に過ぎず、過去の問題ではない」と述べた。 「政権管理判事」が集うソウル刑事地裁に配された理由 チョ最高裁長官は、1986年にソウル刑事地方裁判所で判事としてのキャリアを歩み出した。ソウル刑事地裁は当時、「政権が管理する判事」が配される場所として知られていた。始まりは朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代だ。5・16クーデターで権力を握った朴正熙政権は民主的正統性がぜい弱だったため、司法府の協力を切実に必要としていた。政治的反対勢力の除去には法治主義の外観が必要だったからだ。だが、ソウル地方裁判所のキム・ジェヒョン所長があまり言うことを聞かなかったため、1963年にソウル民事地裁とソウル刑事地裁に分割し、キム院長を無理なく解任した。そして政権に協力的な判事を選び、刑事地裁に配した。新任の裁判官は出身地域などで選んで発令した。主に大邱(テグ)・慶尚北道の出身者が配された。彼らは政権に飼いならされていった。朴正熙、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)の各政権で繰り広げられた数々のスパイねつ造事件でも、ソウル刑事地裁の判事たちは政権の期待を裏切らなかった。判事チョ・ヒデも同じだった。 次回に続く。 イ・チュンジェ論説委員 (お問い合わせ [email protected] )