リオのシャッカラ・ド・セウ美術館盗難事件で当時容疑者とされたフランス人が事件後、初めて証言

カーニバル期間真っ只だった2006年2月24日。リオデジャネイロ市サンタテレーザ地区の曲がりくねった坂道には、マルシーニャ(行進の音楽)や伝統的なサンバの音が響き渡っていた。 その喧騒の中、数人の男たちがクロード・モネ、サルバドール・ダリ、パブロ・ピカソ、アンリ・マティスの絵画を腕に抱えて運び出していた。 犯行グループはシャッカラ・ド・セウ美術館の塀を乗り越え、5点の作品を抱えたまま地区の路地へ姿を消した。これらの作品の価値は当時で1,000万ドル以上、現在の価値に換算すると5,200万レアル(約15億5672万円)に相当する。作品も犯人も、いまだ一度も発見されていない。 容疑者たち この20年間で、事件の主要容疑者として3人の名前が浮上していた。最初に捜査線上に現れたのはパウロ・ジェッセで、少なくとも1点の絵画が運び出されたとされる白いコンビ(フォルクスワーゲン社のワゴン車)の所有者だった。警察は、彼が、4人の強盗犯の共犯である可能性を疑っていた。 事件を担当した女性警部はジェッセの携帯電話を盗聴したが、通話記録を警察のデータベースに保存することができず、すべてを手作業で記録することにした。 ジェッセの自宅は家宅捜索を受け、本人も数日間拘束された。しかし司法当局は、彼を被告として起訴するだけの具体的証拠がないと判断し、釈放を命じた。 匿名の通報により、さらに2人の男が容疑者リストに加わった。1人はミシェル・コーエン。米国で5,000万ドル規模の詐欺的取引を行ったとして告発されていたフランス人の絵画ブローカーだ。 2003年5月、つまり事件の3年前、コーエンはリオデジャネイロでインターポールに逮捕されたが、同年12月に逃走。そして2006年、シャッカラ・ド・セウ事件にも関与した疑いが持たれている。 その後、コーエンは16年間行方不明のままだったが、2019年にBBCが放送したドキュメンタリー『5,000万ドルのアート詐欺』への出演を受け入れたことで、公の場に姿を現した。最新の情報では、彼は現在もインターポールから身を隠しているとされる。 もう1人のフランス人、ブラジル在住の職人パトリス・ルージュも容疑者として名を連ねた。リオデジャネイロ市内で彼に関連するとされた2つの住所が捜査対象となったが、いずれの住居も空で、警察が再び訪れることはなかった。 独占インタビュー 20年を経て、これまで一度も連邦警察に供述を行わず、公の場で疑惑について語ったこともなかったパトリス・ルージュが、初めて口を開いた。アジェンシア・ブラジルの独占インタビューに応じ、盗難への関与を全面的に否定した。 取材には現在暮らすフランス南東部プロヴァンス地方の歴史都市アヴィニョンから電話で応じた。 「この話はすべて完全にばかげています。誰かが匿名で通報しただけで、私の名前が突然巻き込まれたんです」とルージュ氏は憤る。 「この盗難のことを初めて聞いたのはフランスにいた時でした。弁護士から電話が来て、私が疑われていると言われたんです。想像できますか? 足元が崩れるような思いでした。私の人生に大きな悪影響を与えました」と振り返る。 ルージュ氏によると、彼がブラジルに来たのは1974年。友人たちと世界一周旅行をしていた際に立ち寄り、古い宝飾品の市場を紹介してくれた人物と出会ったことがきっかけだった。 その後、友人たちが旅を続ける中、彼はブラジルに残る決断をした。後に古美術品の修復の仕事にも携わったという。 当時、彼はサンタ・テレーザ地区に家を所有しており、家はシャッカラ・ド・セウ美術館のすぐ近くだった。この事実が捜査時に疑いを強める要因となったが、本人は「美術館に入ったことすらない」と断言する。 ルージュ氏は2005年にフランスへ帰国したが、この20年間、リオに住む娘と孫を訪ねるため頻繁にブラジルを訪れてきた。現在77歳を迎えようとしている。 「もし私が犯人だったら、こんなことをするでしょうか? ブラジルで言うところの“後ろめたいことがある人物”なら、必死で身を隠すはずです。私が最後にリオに行ったのは2025年です。ガレオン空港の連邦警察に行って、ブラジルへの入国記録の一覧を出してもらいました。証拠として持っておきたかったんです」と語る。 「インターポールに指名手配されている犯罪者なら、世界中どこにいても追われます。私はフランスでもブラジルでも司法と問題を起こしたことはありません」と付け加えた。 (記事提供/Agencia Brasil、構成/麻生雅人)

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