『ラムネモンキー』が描く、どうすることもできない“現実”

中学時代、同じ映画研究部に所属し、ともに青春を謳歌した雄太(ユン/反町隆史)、肇(チェン/大森南朋)、紀介(キンポー/津田健次郎)。51歳になった3人は、紀介の呼びかけで37年ぶりに再会。なぜか記憶が曖昧になっている“恩師失踪の真相”を解き明かすべく立ち上がる――。そんなヒューマン・コメディ『ラムネモンキー』(毎週水曜夜10:00-10:54 、フジテレビ系/FOD・TVerにて配信)が現在放送中だ。 1988年と現代を行き来する構成で描かれ、2〜4話ではユン、チェン、キンポーそれぞれにフォーカス。3人をじっくり掘り下げて、視聴者に向けメインキャラの解像度を上げた。そして、恩師・マチルダ(木竜麻生)を取り巻く謎も少しずつ見えてきたところで……物語はそろそろ後半に入る。そこで、本作から感じ取ったあるメッセージに目を向けたい。 ■事実で上書きされていく中学時代の思い出 人間の記憶力はあてにならない。昨日の晩御飯や帰り道にすれ違った人数を思い出せないように、覚えておく必要がないものはどんどん忘れ去り、新たな記憶に書き換えられていく。何年経っても反芻してしまうような人生のハイライト以外は、次々に記憶から消し去られてしまうものだ。 雄太、肇、紀介は50代。いくら中学時代が充実していたとはいえ、37年も前の記憶はさすがに鮮明ではない。これまで思い出すことのなかった恩師の記憶は、なかなか呼び起こすことができないだろう。 そのうえ、思い出補正ならぬ“中二病補正”が働き、「マチルダはUFOに乗って宇宙に帰っていた」、「学校でジェイソンに襲われた」、「3人が入り浸っていたビデオ店で秘密結社の集会に遭遇した」などなど、現実離れした記憶ばかり。映画に夢中になっていた彼ららしい改ざんぶりだ。 ただ、マチルダ失踪の真相を追う過程で、彼らの妄想全開の思い出は事実で上書きされていく。UFOもジェイソンも秘密結社もなかったことになり、3人は中学時代に確かに起きた“現実”を直視せざるを得なくなるのだ。本来であれば、彼らの壮大な妄想のままでも良かったはずだが、そうはいかなくなってしまった。 ■救いの手はない――今ある現実を受け止めるのみ 『ラムネモンキー』は、“現実から目をそらさないこと”を伝えているのかもしれない。 エリート商社マンから一転、収賄容疑で逮捕された雄太。借金を抱える売れない映画監督の肇。漫画家の夢を捨て、認知症になった母の介護をしながら理容室を営む紀介。 現在50代の3人はそれなりに一生懸命生きてきたはずで、その道は決して間違っていなかった。しかし、それぞれの胸には“こんなはずじゃなかった”という後悔がまとわりついている。人生も後半戦に入り、「もうやり直しが効かない。どうにもならない年齢だ」と自覚しているからだ。しかも、雄太は妻から離婚したいとまで言いだされ、裁判の準備も思い通りには進まず八方塞がり。もちろん今後好転することは十分に考えられるが、この現状を見ると“現実は、ドラマのようにうまくいかない”と、このドラマ自体が提示しているように思える。 ただ、そんななかでも肇は因縁の相手だった体育教師・江藤(石倉三郎)とのわだかまりを解消し、中学時代にはわからなかった江藤の愛情に触れた。紀介は、漫画家の夢を捨てたのではなく、母に憧れ自分の意志で理容師を選んだと再認識した。端から見たらわからない程度の変化で、誰かに多大な影響を与えることはないだろう。中学時代に紀介をいじめていた佃(東根作寿英)も、仕事は変わらず続けているはずだ。ただ、肇や紀介の心のなかで渦巻く“こんなはずじゃなかった”というモヤモヤは、わずかながら晴れただろう。そして、この微々たる変化もまた現実的だ。 現実はドラマのようにうまくいかないかもしれない。が、別にうまくいかなくてもいいし、後悔する必要もない。後戻りすることはできないのだから、今ある現実を受けとめるほかない。そうすれば、今より少しだけ心が軽くなるかもしれない。 『ラムネモンキー』には、そんなシビアだけど優しい人生訓が隠れていた。 ■文=松本まゆげ/アンチェイン

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