『マジカル・シークレット・ツアー』で飛躍。天野千尋監督の“生きてる人間のリアリティ”を切り取る方法【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

現在の日本映画界を見渡すと、圧倒的に優勢なのは(小説、コミックを問わず)原作のある作品。最近はアニメーション作品であってもオリジナル作品は滅多にヒットしない状況が続いているが、実写作品ではなおさら、人気俳優がキャスティングされたエンターテインメント作品におけるオリジナル脚本の比率は極端に低くなっている。つまり、有村架純、黒木華、南沙良ら人気と実力の伴った役者が揃い踏みしたオリジナル脚本のクライムサスペンス『マジカル・シークレット・ツアー』(公開中)は、それだけでとても貴重な作品だ。 さらに、本作の脚本(熊谷まどかとの共同脚本)と監督を務めている天野千尋は、少なくとも現時点においては名前で観客を呼べる監督というわけではない。というか、多くの実写日本映画のポスターやチラシにおける監督のクレジットの位置や小ささが示しているように、そもそも現在の日本の実写映画で本当の意味で「名前だけで観客を呼べる監督」なんてほぼいない。そんな環境下にあって、自主映画時代から周囲の信頼を築き、脚本や演出の技術を磨き、天野千尋監督は作品が届く距離と範囲を少しずつ広げてきた。 『マジカル・シークレット・ツアー』には天野千尋がこれまで手掛けてきた作品のテーマや問題意識も引き継がれている一方で、そこにエンターテインメント作品としての間口の広さ、優れた撮影や美術がもたらす画面のリッチさが無理なく共存している。天野千尋監督にとってこれまでで最も大きなステップとなったに違いないこのタイミングで、大学卒業後に社会人生活を経て映画監督になるまでの道程と、脚本執筆や演出において最も大事にしていることを訊いた。 ■「興味を持ってもらえた切り口に反応しているのが正直なところです」(天野) ―― 今回の『マジカル・シークレット・ツアー』を観てから、前作『佐藤さんと佐藤さん』をはじめ天野監督の過去作も観させていただいて、「こんなにおもしろい映画を撮ってきた監督を自分は作家として認識してなかったのか」と恥入ってしまい。 天野「ありがとうございます(笑)」 ――自分の勉強不足やアンテナの鈍感さを棚に上げて言うと、天野監督が近年手掛けてきたようなタイプの作品、インディーとメジャーの中間に位置するようなわかりやすくジャンルムービーでもない、かといっていわゆる映画祭を中心に話題になる作品とも少し立ち位置が異なる作品って、なかなか情報が行き渡らないというか。取り上げるカルチャー系メディアはあるんですけど、そもそもそのカルチャー系メディアがあまり読まれていなかったり、その切り口がジェンダー問題に偏っていたりで。もちろんそういう切り口も重要なのは理解できるんですが、それだとどうしても情報を受け取る層が限られてしまうという問題があると思っていて。まず前提として誰が観てもおもしろい作品ってことが、ちゃんと多くの人に伝わるためにはどうしたらいいんですかね? 天野「いやあ、それは私も知りたいです。いまこうやって宇野さんがおもしろいって言ってくださって本当に安心してるんですけど、やっぱり自分がおもしろいと思ってるものがどこまで伝わるのかっていう不安が常に消えないんですよ。自分がおもしろいと思うものと、世の中の多くの人がおもしろいって思うものが、ちょっとずれているんじゃないかなっていう感覚があって。昔からずっとそういう感覚はあったんですけど、それが最近さらに大きくなってきています。だから、切り口を自らプレゼンしていくような心境にはなっていなくて。興味を持ってもらえた切り口に反応しているのが正直なところです」 ――これは宣伝的な話になっちゃいますが、例えば今回の『マジカル・シークレット・ツアー』のポスターを見ると、いわゆる“シスターフッド映画”みたいな感じに見えるじゃないですか。確かにそういう要素もありますが、今作はもうちょっとほろ苦い現実を、ちゃんと映画にしかできないスケールと娯楽性をともなって描いている。でも、ビジュアルイメージの時点で「この作品は自分には関係なさそうだ」って思う人も多いんじゃないかと。実際、そういう声を知り合いから耳にする機会もあったんですが。 天野「そうなんですね。映画の宣伝って難しいですね…。この作品でいうと、メイン3人の表情をビジュアルで大きく打ち出すことはマーケティング的には正しいのだと思います。まずは広く知ってもらって、その上で中身で描かれていることが、口コミなどでじわじわ伝わってくれるのが理想なんでしょうか…。ただ、まず自分が本当に描きたいものがあって、それをどう表現して人に伝えるのかを考えて、さらにどう宣伝して世の中に広めていくのかを考える。それぞれ別軸のバランスがすごく難しくて。常に悩んでいますね」 ――それは、いわゆる作家性と商業性のバランスが、作品の規模が大きくなるにしたがって見出しにくくなっているということでしょうか? 天野「そうですね。本当に自分がいま撮りたいものだけにフォーカスしてしまうと、映画って商業的に成立させなくてはならないものでもあるので、どこまで広がるのかっていう不安を抱えていて。あと、いち観客としても、どちらかというと開かれていてる作品のほうが好きだったりするので。自分が突き詰めたいものと、お客さんにどこまで開いていくかを常に葛藤しているんだと思います」 ――そういう意味では、特に今作の場合は有村架純さん、黒木華さん、南沙良さんをはじめ、キャストの方々が作品の商業性を担保しているとも言えるわけですよね。 天野「おっしゃっていただいたようにキャストの方々は皆さん有名な方々ですが、だからこそ、それぞれのキャラクターの描き方をあまり分かりやすい表面的なものにしたくないなって思いがあって。自分が貫きたいものがあるとしたら、そこかもしれません」 ――天野監督の場合、基本オリジナル脚本で、かなりハイペースに作品を世に出していて、だんだん作品の規模も大きくなっている。それだけでも単純にすごいことで。 天野「めちゃ大変です(笑)」 ――しかも、誰かの下について助監督でやってきてとか、そういうよくある監督デビューのコースじゃないですもんね。大学を出たあとは普通に就職をされていて。 天野「そうなんです」 ――学生のころから映画を作りたいとは思っていたんですか? 天野「学生時代の本当に最後の最後、卒業間際に映画研究部に突然入部したんですよね」 ――珍しい(笑)。 天野「それで、友達と自主映画を一本撮ったのがすごく楽しくて、またやってみたいなって思いながら、一旦就職したんです。でもまあ、就職して働いていても、やっぱりもう一回映画をちゃんとやってみたいって気持ちがずっと残っていて、夜間でENBUゼミナールに通い始めて。そこからPFF(ぴあフィルムフェスティバル)とかの映画祭に応募して、ちょっと入選するようになってきた時に、やっぱり社会人をやっていると夏休みとかしか撮影ができないので、もう少し本格的に作ってみたいな、という気持ちが生まれてきて」 ――映画監督って、普通に食べていけるとはなかなか思えない職業じゃないですか。会社を辞めるという思い切りがつく、なにか決定打みたいなものはあったんですか? 天野「いや(笑)。『よく決断しましたね』とかって言われたりするんですけど、自分としては必然だったというか」 ――シンプルに、このまま会社で働いていたら映画を撮る時間がないから辞めるしかない、みたいな? 天野「そうですね。だから、会社員時代もそれを目指して、一応コツコツ貯金をしていました(笑)」 ――立派ですね(笑)。天野監督は脚本も自身で書かれているじゃないですか。映画を撮りたいっていうのと、脚本を書きたいっていうのは、同じところから出てきた欲求だったんでしょうか? 天野「自主映画からスタートしているので、映画を撮る=自分でホンを書くっていうふうにセットだったんですよね。だからホンを書かないことのほうが新鮮と言いますか、自分にとってはチャレンジングなことであって、自分で脚本を書くのが当たり前っていう感覚です」 ■「有村さんが脚本を気に入ってくれて、受けてくださったところから一気に動き出したんです」(天野) ――ドラマでは脚本だけのお仕事もされていますよね。 天野「はい。最近だと『天狗の台所』とか、あとはNetflixの『ヒヤマケンタロウの妊娠』とか。自主映画の脚本で書くことの練習をしながら、徐々に上達していったというか。自主映画を作っていて、やっぱりホンがつまらないと人に見せても反応が悪いし、撮りながら自分で納得できなくなっちゃうこともあって、やっぱり脚本に問題があるんだっていうのに気づいて。なにが問題なのかを自分で考えたり、人にたくさん相談したり、少しずつ少しずつ技術がついてきたっていう感じですね」 ――じゃあ、理想として自分で脚本を書いた映画を撮ることで、脚本だけの仕事は基本的にはサブという認識ですか? 天野「はい」 ――国内外問わず、映画を撮りたいと思うきっかけになった監督がいたりするんですか?あるいは、こういうやり方だったら自分にもやれるんじゃないかと思えたロールモデルのような人とか? 天野「私、そもそも映画に興味を持ち始めたのが本当に遅くて。20歳過ぎるまで、本当に観てこなかったんです」 ――そうなんですか? でも、小説とか漫画とか、普通にフィクションには接してはいたんですよね? 天野「小説も漫画も普通に好きでしたけど、特別に詳しいとかではなく、それも人並みだったんですよね。で、大学の終わり頃に、中国に1年留学した時期があったんですけど、そこでアジア映画のDVDをたくさん観て」 ――あ、中国映画に限らず? 天野「はい。むしろ韓国や日本の映画をその時期に初めてたくさん観ました」 ――その頃の中国だと、海賊盤が大量に出回っていた時代ですよね。 天野「そう、100円とかで道端でたくさん売られていた時期です(笑)。暇だったので、現地で仲良くなった韓国人の友達と、韓国の映画や中国の映画、そして日本の映画を初めてたくさん観て。イ・チャンドン監督の『オアシス』とか、ポン・ジュノ監督の『ほえる犬は噛まない』とか『殺人の追憶』とか、チャン・イーモウとか、ジャ・ジャンクーとかその辺りを片っ端から観ました。それまで、私にとって映画って、大きな船が沈んだりとか、地球滅亡したりとか…」 ――『タイタニック』と『アルマゲドン』(笑)。 天野「(笑)。そういう誰もが観に行くような大作を友達と観に行くものでしかなかったんですけど、そこで初めて『ああ、こんな小さな人間ドラマも映画にしていいんだ』っていうのを知ったんですよね。日本の監督で言うと、山下敦弘監督の『リアリズムの宿』とかもその時に初めて観て、夢中になって。『あ、こういうドラマなら、もしかしたら自分でも撮れるかも』って、なぜかその時に思ってしまったんです」 ――なるほど。中国への留学は、なにを学びに行かれたんですか? 天野「主に中国語なんですけど…もう中国語はしゃべれないです(笑)」 ――大学では法学部にいたんですよね。 天野「はい。本当に大学卒業1年前ぐらいに、モラトリアム期間がもうちょっと欲しいなと思って、たまたま学内の掲示板を見ていたら“中国への留学生募集”というのがあったんで、それに応募したら通ってしまって」 ――でも、それが現在につながってるわけですから、留学はしてみるもんですね(笑)。 天野「いい経験でした(笑)」 ――前作『佐藤さんと佐藤さん』と今作『マジカル・シークレット・ツアー』は、熊谷まどかさんとの共同脚本だったり、撮影が趙聖來(チョウ・ソンレ)さんだったりと、主要スタッフの共通点もありますが、それぞれどういう経緯なのか教えてください。趙聖來さんは中川駿監督の『90メートル』の撮影もすごく印象的だったんですけど、これまであまりクレジットを見たことがない方で。 天野「趙さんは、『佐藤さんと佐藤さん』のプロデューサーが紹介してくれたんですよ。元々ニューヨークで活動されていて、ただ、日本生まれ日本育ちということもあって、最近は日本の作品も撮られるようになった方で」 ――あ、なるほど。だからこれまで名前を知らなかったわけですね。なんか、すごく若い優秀な撮影監督が急に現れたのかと思ってました。 天野「歳は私と同じくらいで。むしろ、これまで海外でキャリアを積まれてきた方です」 ――熊谷まどかさんはご自身でも映画を撮られてますよね。 天野「熊谷さんは自主映画時代からの友達で、お互いに脚本を見せ合ったり、感想を言い合ったりみたいな仲だったんですけど、その頃から気が合う方だったので自分から声をかけたのがきっかけです」 ――これまで一人で脚本を書いてきた中で、誰かと共同で書きたいと思うようになった理由は? 天野「自分のというか、人間一人の力というものに限界を感じるようになって。やっぱり映画を作っていると、人と一緒にやることでとんでもないものが生まれたりすることって多いので、脚本も複数の人間で考えたほうが遠いところに連れていってもらえるんじゃないかなって、そういう予感があったんですよね」 ――今回の『マジカル・シークレット・ツアー』は実際にあった事件がベースになっているわけですが、こういう場合って、法的に何か配慮が必要だったりするんですか? 天野「実際にあった事件をベースにしたのではなく、そのニュースから脚本の着想を得ただけなので、そこはなにもありません。金の密輸をして逮捕された方々のプロフィールはなにも存じ上げないんですよ」 ――あ、なるほど。ぼんやりとそんな事件があったことしか覚えてなかったので、ちょっと勘違いしていました。 天野「実際に捕まった方々の世代も、今回の作品の設定よりも年上の方々だったはずです。最初にニュースを見た時は『これは映画になるぞ』って思ったわけではなくて。ただ、主婦のグループの密輸事件っていうことにちょっとびっくりしたんですよね。主婦ってそんな密輸のような犯罪とか、大きなお金が絡むようなことをするような存在じゃないっていう風に、なんか私の中でも固定観念があったので。そこに意外性を感じて、いい意味で裏切られた感覚というか、痛快だなと思いました」 ――ということは、今作は企画自体が天野さん発信なんですね。 天野「そうです。でも、その時はまだ“おもしろいニュースだな”と興味を惹かれただけだったんです。それから何年か経って、映画の企画を考えているなかで、『あのニュースで見た事件の背景を勝手に膨らませてみたらおもしろいかも』って思うようになって。最初は主婦たちが家庭菜園で大麻を育てる話も考えていたんですけど、もしそれで進めていたら被っていましたね(笑)」 ――『万事快調〈オール・グリーンズ〉』だ(笑)。 天野「いずれにせよ、主婦を主人公にしようと思ったのは、自分に子どもがいて、母親として暮らしているなかで、『母親ってこういうもんだよね』とか『主婦ってこうだよね』みたいなちょっとした決めつけの視線を、悪意はなくても日々感じることがあって。そこに若干の居心地の悪さみたいなのもあったりして、そこを裏切るような映画を撮ってみたいなという気持ちがあったんです。そこと、そういえばあの密輸のニュースも主婦だったなということを思い出して、徐々にプロットになっていったという感じです」 ――でもこの話は海外ロケとかも必要で、実際に今回シンガポールでロケをされている。で、そのシーンも日本映画とは思えないようなリッチなルックになっていて。最初の企画段階で、実現する見込みはどのくらいあったんですか? 天野「いや、全然なかったです。2020年に考え始めて、数年間はまったく動かないまま、脚本を地道に直していくっていう状況が続いていたんですけど、有村さんが脚本を気に入ってくれて、受けてくださったところから一気に動き出したんです」 ■「今回みたいに既存の名曲が使用できるなら、わざわざ曲を書き下ろすこともないと思っていて」(宇野) ――有村さんすごいな。この作品、どこをとっても妥協がなくてびっくりしたんですよね。日本映画の場合、ちょっと風呂敷を広げた作品って、それこそメジャーの作品でさえ、「ここはまあ、ちょっとコスト的に節約したんだな」とか思うところがあるわけですけど、この規模の作品で、キャスト陣の実力と知名度のバランスも高い水準にあって、最後まで2時間ずっとおもしろい。その実現力の高さがなにに由来するのかを、今日は一番知りたかったんですよね。 天野「いやいや、宇野さんにそう見えているなら、本当にありがたい限りなんですけど。企画を書き始めた段階では、自分の中ではあんまりジャンルというものは意識していなくて。やっぱり常に人間の、キャラクターのおもしろさをどう見せるかを考えながら脚本を作っていって。プロデューサーと話しているうちに、やっぱりこれはちゃんと密輸してるシーンも撮らないといけないし、海外ロケも必要だし、まあお金がかかる。お金がかかるってことは、商業的な間口も広げないといけないので、ある程度エンタメ的な見せ方をしないと成立しないよなっていうことも実感してきて。だから最初の話につながるんですけど、エンタメ的な見せ方をしつつも、自分が描きたいことをどこまで貫けるかっていう葛藤を、本当に脚本の段階から、仕上げの編集もだし、最後の最後まで続けていたような感覚で。それが妥協のない作品に感じてもらえたら、こんなにうれしいことはないです」 ――細かい妥協はしているけれど、それに気づかないくらい、丁寧に調整をし続けた? 天野「妥協というか、葛藤しながらいろんな選択をしてきました」 ――現状、日本映画ってアラ探しをし始めたらキリがなくて。「よし、今日は日本のインディーズ映画を観るぞ」「これは『プラダを着た悪魔2』ではないぞ」って自分でチューニングして観ないと、いろんなことが気になってしまう。背景で走っている車が作品の時代設定と違っても、学校やオフィスの登場人物がやたらと少なくても、チューニングを合わせたら観られるけど、合わせなかったらとてもじゃないけど観てられない。それが、普通のお客さんも映画館に足を運ぶエンターテインメント映画の一つの定義だと思うんですよね。そういう意味では、作品の最後に誰も得をしない変なタイアップ曲ではない、ちゃんと作品のテーマに合った椎名林檎の「ありあまる富」が流れた時、すごく達成感のようなものを感じたんです。 天野「あはは(笑)」 ――いや、本当に思うんですけど、変な作品に自分の好きなアーティストが曲を提供していてもがっかりしちゃうし、その逆もがっかりしちゃうし、それだけで台無しな気分になっちゃうんですよね。もっと言うと、今回みたいに既存の名曲が使用できるなら、わざわざ曲を書き下ろすこともないと自分は思っていて。『マジカル・シークレット・ツアー』は「ありあまる富」という名曲にちゃんと見合った作品でした。 天野「ありがたいです。やっぱり、有村さんが最初にやるって言ってくださったことで、ちゃんとやりたいことをやるだけの予算が集まったっていうのが本当に大きくて。その信頼から、これだけのキャストの皆さんも集まってきてくださったと思いますし、スタッフの皆さんの腕も確かなものだったので、撮影も照明も美術も音も、これだけのクオリティの作品にすることができて。しかも、ただクオリティが高いというだけでなく、キャラクターに合った部屋のセットだったり、そのシーンに合った撮影方法を選ぶことができたんですよね。選択する自由がちゃんと持てる作品だった。そのことがすごく幸運だったなと思います。例えば、シンガポールのシーンを撮る時は、カメラも日本のシーンとは違ってラージフォーマットのカメラを使おうということを相談して、そうするとやっぱり、見え方がすごく変わってくる」 ――登場人物の心情ともシンクロして、一気に視界が開けてくる感じがありましたが、なるほど、シンガポールのシーンではカメラを変えてるんですね。 天野「はい。例えば麻由(南沙良)の部屋一つとっても、ものすごく雑然として物が多いんですよね。その物の多さによって、麻由っていう、経済的貧困にある家庭の様子を、セリフだけじゃなくて画で見て取れるようなものが作れた。それだけの物が用意できるのも、もちろん美術さんの力もあるし、やっぱり予算もあるしで、それに恵まれたっていうのが幸運でした」 ――空港の税関のシーンも、税関の協力を取り付けたと聞いて驚きました。そういうのは、予算だけじゃなく、スタッフの粘り強い交渉力もあると思うのですが、だからこそ、有村架純さんのあのとんでもない演技力も活きてくる。ちょっとした表情の変化だけですべてを表現できる有村さんが、後ろめたい気持ちを抱えて税関を通っていく、それだけでどんなアクションシーンよりもスリリングで。 天野「有村さんはすごいです。でも、本当に努力の人なんだなって。なんでもできる天才っていうよりは、すごく地道な努力をされる方だなって印象が強くて。役作りにしても、ノートに自分が納得するまで書かれていたりとか。その積み重ねがあって、いまの彼女があるんだなっていう。ご自身でもやっぱり『自分は決して器用ではない』っていう風におっしゃっているんですけど、だからこそやっぱり自分が納得するまで役を突き詰めて臨んでるんだなというのが、今回すごくよくわかりました」 ■「自分が一番大事にしているのは“生きてる人間のリアリティを切り取る”っていうこと」(天野) ――ちょっと最初の話に戻りますが、今作の和歌子(有村)のキャラクターもそうですけど、前作にもワンオペ育児的な描写があって。それは似たような経験をしてきた天野監督が脚本を書いているからこそ出てくるテーマだとは思うんですけど、どうしても多くのメディアではそういうジェンダー問題にまつわるイシューにフォーカスが当たるような見え方になっていて。そういうメディアに求められる役割についてどう考えられていますか?というのも、作品のプロモーションという意味で、それが動員に結びついているのか自分はちょっと疑問に思っていて。 天野「たしかに、それによって観る人を限定してしまう面はあるかもしれませんね。一方で、前作や今作はそこにこそ作品におけるリアリティが凝縮されている気もして。自分が一番大事にしているのは“生きてる人間のリアリティを切り取る”っていうことなんです。加えて、とはいっても映画はフィクションなので、そこにある種のファンタジーだったり、日常から飛躍できる魔法みたいなものが掛け合わさると、自分が描きたいものと、お客さんに広く届くものが重なってくるのかなって。それをどうプロモーションするかはまた別の問題ですが」 ――確かに、『マジカル・シークレット・ツアー』は3人の女性がただ連帯するという作品ではなく、それぞれが自分だけの都合を抱えていて、それぞれの人生を送っている個人としてのバックグラウンドがちゃんと描かれていて、またそれぞれの人生に戻っていくことでとても多面的でリアリティのある作品になっている。和歌子の映画とか、清恵(黒木)の映画とか、麻由の映画みたいな作品は他にもあるかもしれませんが、3人全員のキャラクターがちゃんと“生きてる”、こういう作品はこれまであまり日本で観たことなかったかもしれません」 天野「そう言っていただけるとうれしいですけど、いやー、もう不安でいっぱいでした。本当に、常に。私自身はこの3人がとても好きなんですけど、この3人の魅力がどこまで観る人に伝わるんだろうっていうのが本当に読めなくて」 ――今作を観た人はみんな確信すると思うんですけど、これからまだまだもっと大きな作品を作るチャンスがくると思うので、その時にはもう躊躇せずにチャンスを掴んでいってほしいです…っていう、最後に余計なアドバイスを(笑)。 天野「でも、これ以上に大きい作品ってことになると、やっぱりさらに分かりやすくしないといけないのかなぁと悩みますね。もっと多くの人に届けるためには」 ――海外に目を向ければ、このままのやり方でも潜在的な観客はたくさんいると思います。ご自身が国外に出てもいいし、作品が国外に出る機会だってこれからどんどん増えるだろうし。 天野「ですかね! なんか希望がわいてきました(笑)」 取材・文/宇野維正

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