ラッパー2PAC殺害事件から30年――デュエイン・“ケフィーD”・デイビス被告に裁判で初の有罪評決

1996年にラスベガスで起きた銃撃事件で、ラッパーの2PAC(トゥパック・シャクール)が殺害されてから30年が経過した。この事件をめぐり、デュエイン・“ケフィーD”・デイビス被告に初めて有罪評決が下された。 現地時間8月31日(月)、この殺害事件について、ラスベガスの陪審はデイビス被告に有罪評決を言い渡した。 この裁判は当初、1カ月に及ぶと見込まれていたが、検察側と弁護側による約2週間にわたる証言を経て、陪審は最終弁論を聞くこととなった。検察側は、警察官や捜査官を含む20人以上を証人として召喚していた。 デイビス被告は、かつてストリートギャングチーム「サウス・サイド・コンプトン・クリップス」の幹部だった人物で、2023年に殺人容疑で逮捕された。実際に銃を撃った人物として起訴されたわけではないが、ラスベガスで2PACと甥のオーランド・アンダーソンがトラブルになった後、デイビス被告が「殺害を指示した」として訴追された。 2PACの殺害事件は、長年にわたりポップカルチャー史上「最も有名な未解決事件」の一つとされてきた。同事件は、ギャング間の抗争や、1990年代に激化したヒップホップ界の東海岸・西海岸の対立と関連していると推測されていた。 事件当夜、2PACが乗っていた車を運転していたシュグ・ナイトが率いるレコードレーベル「デス・ロウ・レコード」は、ストリートギャングチーム「ブラッズ」と関係があるとされていた。一方、ショーン・“ディディ”・コムズが設立したライバルレーベルの「バッド・ボーイ・レコード」は、クリップスとの関係が取り沙汰されていた。 デイビス被告は以前、コムズが2PACの殺害に対して100万ドルの報奨金を提示したと主張していた。しかし、売春関連の罪で現在服役しているコムズは、この主張を一貫して否定している。 デイビス被告は以前から事件との関係を指摘されており、過去のインタビューでは「殺害に使用された銃を自分が用意した」と語っていた。同被告が2019年に出版した回顧録でも、同様の主張を展開している。 これらの発言は、検察側にとって重要な証拠となった。一方でデイビス被告の弁護側は、「彼の過去の発言が事件と本人を結びつける証拠にはならない」と主張。「回顧録の売り上げを伸ばすために虚偽の主張をしていた」と訴えていた。 ※本記事は英語の記事から抄訳・要約しました。

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