2026年7月9日、美術評論家連盟有志は共同意見「表現の自由を制約する国旗損壊罪の新設に反対します」を発表し、顕名・匿名合わせて48名の会員が名を連ねたが(後に6名が追記)、そのひとりであった私のもとに今回、Tokyo Art Beatから、この件に関して何か書かないかとのオファーが寄せられた。驚いたが、せっかくの機会なのでありがたくお受けした。とはいえ、私は美術評論家連盟の一会員に過ぎず、連盟を代表する立場にはないので(そもそもこの共同意見もあくまで「有志」によって発信されたもので、連盟の総意ではない)、以下に述べるのはあくまで一個人の見解であることをお断りしておく。 発端となった共同意見は「表現の自由を制約する国旗損壊罪の新設に反対します」というタイトルによって始まる。全文は「美術評論+」(会員が自主的に投稿する評論サイト)を参照していただくとして、私が今回の法案に反対する理由はほぼこの共同意見の中に出揃っている。以上が、ここに名を連ねた所以だが、屋上屋を架すのを承知のうえで、いくつかの論点を確認してみたい。 条文によると、「国旗損壊罪法」の目的は「国旗を大切に思う国民感情を保護することにある」とされており、「国旗として用いられている社会通念上認められる有体物」に「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」によって「公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損」する行為に対し「2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金」を科すとされている。 まず率直な疑問だが、「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させる」事態とは、誰がどのような基準で判断するのだろうか。「客観的な事情を総合的に勘案」するとは言っても、司直のさじ加減ひとつで、かなり無理のある判断であっても成り立ってしまう代物だ。生成AIの画像やお子様ランチの旗は対象外とするとのことだが、今後も様々な事例の是非が取りざたされることだろう。 新しい法案を制定するためには立法事実が、すなわち法律や条令を新たに制定する根拠となる社会的、科学的な事実、より具体的に言えば、統計や実際の被害事例などの裏付けが必要とされる。この法案に関して言えば、全国各地で国旗が公然と損壊されている事例が多数報告されていることが必須要件のはずなのだが、寡聞にして私はそのような事例を知らない(知っているという方はぜひ信憑性のあるデータを示してほしい)。また国旗自体が「有体物」である以上、その損壊行為は器物損壊罪などの現行法で十分対処可能であるにもかかわらず、なぜ国旗のみを対象とした法案を新たに制定する必要なのかについても、一切説明がない。外国の国旗を損壊することは罪に問われるのに、自国の国旗の損壊が罪に問われないのは不公平ではないかとの意見もあるが、前者は外交関係の悪化を防ぐことが目的であり、そもそも後者と等置される関係にあるわけではない。 この一連の騒動には強い既視感があった。1999年8月に成立した「国旗及び国歌に関する法律」をめぐる騒動である。このときも、明治以降長らく事実上の国旗として扱われてきた日の丸に法的な正当性を与えようとする与党に対して、国民の感情などを理由に野党は反発したが、最終的には賛成多数で可決された。「国旗を大切に思う国民感情」はこの法案制定の主要な動機であったはずだが、果たしてこの四半世紀、「国旗を大切に思う国民感情」は国民のあいだに広く浸透したのだろうか。新たな立法によるさらなる締め付けの強化は、法制化にそのような効果がなかったことを認めているに等しい(その意味で、2004年秋の園遊会で、法制化の意義を説くある参加者に対して、「(日の丸の)強制になるということではないことが望ましい」(*1)と回答した明仁天皇(現上皇)の言葉はまったく正しい)。このまま際限なくエスカレートしていけば、もういっぽうの法制化の対象であった『君が代』に対しても、自由な編曲やアレンジを禁じる「国歌損壊罪法」が導入される可能性も考えられる。そうなれば、それはもはや丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』(1982)の世界ではないか。