1969(昭和44)年 前年の医学部ストから発展した東大紛争は、学内に立てこもる全共闘および新左翼の学生を排除しようとする警視庁機動隊との攻防戦となり、最後の砦(とりで)となった安田講堂を8500人の機動隊が包囲。徹夜の放水と催涙弾攻撃により、翌19日夕方までに600人以上の学生が逮捕された。
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1969(昭和44)年 前年の医学部ストから発展した東大紛争は、学内に立てこもる全共闘および新左翼の学生を排除しようとする警視庁機動隊との攻防戦となり、最後の砦(とりで)となった安田講堂を8500人の機動隊が包囲。徹夜の放水と催涙弾攻撃により、翌19日夕方までに600人以上の学生が逮捕された。