ドラ1から広報へ――。福岡ソフトバンクホークスの一軍担当広報・鍬原拓也氏(30)は、2017年に巨人からドラフト1位指名を受けた元投手だ。故障に苦しみ、戦力外通告も経験。現役引退後は選手の魅力を伝える仕事に力を注いでいる。巨人の前監督で中大の先輩でもある阿部慎之助氏への思いや、23年ドラフト1位の前田悠伍投手への助言、目前に迫った10月22日のドラフト会議への思いを語った。 鍬原氏は、現役時代との違いをこう語る。「今までは自分が目立ってなんぼ。今はどれだけ選手をよく周りに見せるか」。2017年のドラフト会議では巨人から1位指名を受けた。中大の監督から、3球団が抽選を外せば1位指名の可能性があると聞いていたが、いずれも交渉権を獲得。「もう1位はないんだな」と思った直後、予想外の巨人から指名された。 入団後は右ヒジの状態を考慮され、新人合同自主トレをリハビリからスタート。ネット上では批判が相次いだ。「正直、1位じゃなかったらこんなんじゃなかったんだろうな」。ドラ1の重圧を痛感し、それ以来、ネット上の批判を自ら見ることはなくなった。 母子家庭で育ち、小学1年時から野球を望んだが、母親に待つよう言われ、3年生で始めた。中学3年時には友達と遊びたい気持ちや費用の心配から、全国大会を前に退団を決意。コーチらの説得にも応じなかったが、母親から涙ながらに野球を続けてほしいと訴えられた。「初めて見た母親の涙だった。それがなかったら本当にやめてて、この人生なかったかもしれない」。費用も気にしなくていいと言われ、続ける決心がついた。 野球を始めるきっかけは巨人の名捕手・阿部慎之助氏。小学1年時にテレビで見て憧れ、福井・北陸高から阿部氏の母校・中大へ進学した。 巨人入り後、サイドスローに転向したが投球フォームを見失い、右ヒジの疲労骨折で手術。復帰に向けて元の投げ方に戻したいと相談すると、「自分の野球人生だから好きなようにやればいい」と背中を押された。23年の戦力外通告後も現役続行を励まされた。今年5月、暴行容疑で逮捕され、監督を辞任した阿部氏(その後不起訴)については「もう一度、監督など、どんな形でもいいので戻ってきてほしい」と語る。 23年オフにソフトバンクと育成契約を結んだが、持病の腰痛が悪化して引退。将来の指導者を目指し、野球を一歩引いて見られる広報への転身を決めた。現在は選手と報道陣の橋渡し役を務め、自ら撮影する「わくわく鍬カメラ」で選手の素顔も届けている。 同じドラフト1位の前田悠には、自身と同じ苦労をしてほしくないと、取材対応や言葉遣いを助言。当初は注意すると言い返してきたが、努力を重ねて成長した。今季12勝1敗、防御率2・10と飛躍。「7、8勝ぐらい今年するんじゃないかなと思ってた」と予想以上の活躍を喜び、今では「もう僕から言うことないっすよ」と笑う。 中学時代からプロレス好きで、棚橋弘至のファン。大学時代に尊敬する人物に挙げたのは、棚橋のようにファンに愛される選手になりたかったからだ。現役時代には対面も実現。ファンからどう見られるかを大切にする考えは、広報の仕事にも通じている。 10月22日はドラフト会議。9年前は指名を待つ立場だったが、今は新入団選手を迎える側だ。最初から助言を押しつけるつもりはない。「まず自分で経験してみて、その上で自分がどう感じるかじゃないですか」。ドラ1の重圧も挫折も知る鍬原氏は、新たな才能を支える立場で、その成長を見守っていく。