元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは2002年、背任・偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間にわたり東京拘置所に勾留された。「人間の弱さにつけ込んで支配しようとする相手に屈しないためには、自らの良心に立ち返ることが必要だ」という――。(第1回) ※本稿は、佐藤優『人間の性』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。■罪を認めればラクになれるという誘惑 人間が極端に追い込まれるような状態に置かれたとき、個人の意思や理性などというものは、いとも簡単に折れてしまう。私が鈴木宗男事件に連座して、特捜検察に逮捕されたときもそうだった。 特捜検察という組織は、取り調べの中でエリートのプライドを徹底的に傷つけ、「お前は社会のクズだ」などとなじってアイデンティティーを破壊し、検察に都合のいい供述をする「自動販売機」に仕立て上げるプロフェッショナルである。 こうした国家権力の論理の前では、目先の損得を合理的に計算すれば、検察のシナリオに迎合して罪を認めてしまうのが最も賢い選択である。罪を認めて言いなりの調書に署名すれば、すぐに保釈され、執行猶予がついて数年で社会復帰できるからだ。 実際に、同じ事件で捕まった他の容疑者たちは皆、検察の圧力に屈して、そのように合理的な大人の対応を取った。 しかし、私はその合理的な選択を拒絶し、512日間にも及ぶ孤独な闘いを貫いた。私が最後まで特捜検察のストーリーに屈しなかったのは、私の精神が人並み外れて強靭だったからではない。 激しい取り調べが続き、精神的に追い詰められ、「もうこのへんで飲み込もうか」と心が折れそうになった瞬間が、私にもあった。■死んだ愛猫の夢を見て奮い立った そのとき、私の精神を土俵際で踏みとどまらせたのは、高邁なイデオロギーでも強靭な理性でもなく、極めて個人的で感傷的なセンチメンタリズムであった。 心が折れそうになったとき、かつてモスクワから連れてきて、すでに死んでしまっていたシベリア猫の「チビ」が、私の夢枕に立ったのである。チビは、弱気になっている私を見て、目をギラギラさせていた。 それを見た私は、「チビが『日和(ひよ)るな』と言っている。ここは頑張らないと」と奮い立った。人間は、極限状態にあっては、時に極端に自信を失う。しかし、全面的に人間に依存して生き、損得勘定抜きで愛情を交わしたペットとの記憶は、絶対的な感情の拠(よ)り所となる。 私が「人間よりも猫のほうがよっぽど信用ができる」と語るのはそのためだ。合理的な打算で言えば「罪を認めたほうが楽」であるにもかかわらず、死んだ愛猫との記憶という「情動」が、巨大な国家権力の圧力に抗(あらが)うための決定的なブレーキとなったのである。 私が特捜のシナリオを拒絶したもう一つの最大の理由は、事実をねじ曲げて、賄賂(わいろ)など受け取っていない鈴木宗男氏を陥れることは、私の良心がどうしても許さなかったことだ。