お金でも名誉でも友達1000人でもない…がんと腎不全を経験した66歳の佐藤優が「人生後半を支える」と話すもの

元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは50代で前立腺がんと腎不全を患った。この経験から「人生の残り時間は有限だからこそ、余分なものを手放し、本当に大切な人や仕事に集中することにした」という――。(第4回) ※本稿は、佐藤優『人間の性』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。■40代からは「やらないこと」に注力する 誰でも20代、30代の若いうちは無限の可能性と時間があると思い込み、ひたすら経験を貪り、与えられた仕事を片端から引き受ける「足し算」の生き方を強いられる。もちろん、基礎的な知力と体力を鍛え上げるために、若き日に自らへ過重な負荷をかけることは重要だ。 しかし、40代、50代と歳を重ねるにつれ、その生き方は大きな壁にぶつかる。人生の残り時間は永遠に続くものではなく、有限であるという事実に直面するからだ。 このとき、これまでと同じようにすべてを抱え込む「足し算」の論理を続けていては、いずれ心身共にパンクしてしまう。40代以降を豊かに生きるためには、自らの残り時間を強く意識し、仕事や人間関係を「引き算」していく知恵が不可欠となる。 人生の残り時間が有限であることを、我々に強烈に突きつけるのは「病」や「死」という不測の事態だ。私自身、50代で前立腺がんを患い、全摘出手術を受け、さらに腎臓の病から腎不全へと至り、人工透析を経て生体腎移植を経験した。 死を身近に意識せざるを得ない状況であったが、その際「なぜ自分がこんな不条理な病気にならなければならないのか」と運命を恨むことはまったくなかった。■病気が教えてくれた人生の残り時間 なぜなら、人間はいつか必ず死ぬ存在だからである。むしろ私は、病を得たことで、それまで漠然と「無限に続く」と思い込んでいた時間が、にわかに輪郭を持って立ち現れてくるのを感じた。残り時間が見えてきたからこそ、何を残し、何を手放すべきかが、はっきりと見えるようになった。これは、決して負け惜しみではない。 病は私にとって、人生を引き算へと切り替えるための大きな転機となった。そもそも私が学んできた神学をはじめ、哲学や歴史学、文学といった文系の高等教育は、究極的には「死ぬことの訓練」である。 貨幣のようにいつまでも残るものを信奉し、自分も永遠に生きられるかのように錯覚するのは、資本主義社会が生み出した傲慢な「ゾンビの思想」にすぎない。 自分がいつかは消えゆく有限の存在であることを、冷静に受け入れること。それこそが、残り時間を有意義に使うための出発点となる。 自らの残り時間が有限だと悟れば、必然的に「優先順位」をつけ、何を切り捨てるかを選択しなければならなくなる。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加