昭和41年の静岡県一家4人殺害事件で9日に再審無罪が確定した袴田巌さん(88)を巡る報道は、逮捕から無罪確定までの58年間で変遷した。 産経新聞は41年8月18日付の夕刊で「『袴田』に逮捕状」とする見出しで、県警が袴田さんを「有力容疑者とみている」と報道した。当時の他の事件記事と同じく、呼び捨てだった。 同年9月7日付朝刊では「袴田、一部を自供」として、袴田さんが県警に「すなおに犯行の一部を自供した」「全面自供までには、まだ時間がかかりそうだ」と報じた。 静岡地裁が死刑を言い渡した43年9月11日付の夕刊では、弁護側が無罪を争い、逮捕後に見つかった血染めの衣類が公判の焦点だったと詳述する一方、袴田さんについて「いつもの不敵な薄笑いも消えた」と表現した。 産経新聞は平成元年12月から逮捕された人物の容疑者呼称を開始。21年に裁判員裁判が始まったのを機に「犯人視」しない報道指針をまとめた。 袴田さんの呼称は釈放された26年3月28日付朝刊以降、「元被告」から「さん」に変えている。