大韓民国の司法府、被告大韓民国の「ベトナム戦争をめぐる嘘」を弾劾

「この事件の攻撃が『大韓民国軍を装ってフォンニィ村に密かに侵入した北朝鮮軍やベトコンまたは北ベトナム軍による攻撃』である可能性は十分に弾劾されたと判断される」 ベトナム戦争の民間人虐殺の生存者グエン・ティ・タンさん(65)が大韓民国政府を相手取って起こした国家賠償控訴審の判決で、裁判部は「弾劾」という言葉を使い、このように述べた。これまで大韓民国政府は、計32万人の韓国軍が参戦したベトナム戦争の時期(1964~1972年)の民間人虐殺事件に対して「全く存在しなかった」とか、「韓国軍を装ったベトコンなどの仕業」などと、責任を転嫁してきた。先月17日に開かれた控訴審で、ソウル中央地裁民事控訴3-1部(イ・ジュンミン裁判長)は、政府の控訴を棄却し、原告勝訴判決を下した原審を維持した。2023年2月、一審裁判所は原告のグエン・ティ・タンさんに大韓民国が3千万ウォン(約320万円)と遅延損害金を支給するよう判決を下した。 原告のグエン・ティ・タンさんは1968年2月12日、ベトナム中部のクアンナム省のディエンバン県(現ディエンバン市社)ディエンアン坊フォンニィ村で、腹部に深刻な銃傷を負って生き残った。当時、韓国軍海兵第2旅団1大隊1中隊が村に進入した状態だった。グエン・ティ・タンさんの兄も腹部と尻に深刻な銃傷を負い、母親と姉、弟は命を失った。 この日、フォンニィ・フォンニャット村だけで住民74人が死亡した。 グエン・ティ・タンさんが韓国の民主社会のための弁護士会(民弁)のサポートを受けてソウル中央地裁に国家賠償訴状を提出したのは、それから50年余りが過ぎた2020年4月のことだ。 この日の控訴審の結果は、尹大統領の逮捕適否審の棄却や西部地裁での暴動など、他の問題に押され、あまり注目されなかった。一歩遅れて判決文を読んだ人々は「被告が新しい証人を付けて提起した主張を、控訴審裁判部がこのように積極的に反論するとは思わなかった」と驚きを隠せなかった。実際、フォンニィ村の住民への攻撃の主体に対する被告の主張と、これに対する判断を盛り込んだ判決文の内容だけで50ページ余りに達する。原告側の代理人の一人だったイム・ジェソン弁護士(法務法人ヘマル)は2日、ハンギョレに「引用符を丁寧に付け、被告の主張についてそれがなぜ不当なのかを誠実に書いた判決文」だとし、「意を決して被告の弁論の形を叱っているような印象を受けた」と語った。 被告の大韓民国は2年前、一審で敗訴した後、代理人団を2倍以上に補強し、控訴審を準備してきた。政府法務公団と国防部法務官(訴訟遂行者)だけが参加した一審とは異なり、控訴審には法務部法務官と法務法人2カ所がさらに加わった。大韓民国川は、事件の当日に第1中隊1小隊の先頭で銃撃を受けて後送されたというKさんをはじめ、2人の将校と私兵の供述を受けて提出し、当時の中隊員を調査した憲兵隊捜査係長の供述書を提出した。ところが、裁判部はこれらの陳述に重きを置かなかった。 今回の裁判で、被告大韓民国の論理は、1968年6月のベトナム戦争当時、韓国軍の残虐行為の疑惑に対する釈明を求めたウェストモーランド駐ベトナム米軍司令官の書簡に対するチェ・ミョンシン駐ベトナム韓国軍司令官の答申内容から一歩も抜け出していない。当時、チェ司令官は「(フォンニィ・フォンニャット事件は)偽装用軍服を着たベトコンの仕業」であることを示唆し、「大量虐殺は韓国軍、米軍、南ベトナム軍の間に分裂を起こそうとするベトコンの陰謀」だと述べたが、この論理を58年間維持してきたわけだ。今回の控訴審裁判所は、このような論理が事実と合致せず、これまでこれを裏付ける根拠を全く示されていないとして、被告大韓民国の安易さを叱責した。 判決文によると、裁判所は「もしこの事件の攻撃が実際に偽装攻撃ならば、駐越韓国軍司令部を含む大韓民国政府は当然の戦力を尽くしてこの事件の攻撃の真実を究明し、その結果を駐越米軍司令部と米国政府、南ベトナム政府に直ちに知らせ、偽装攻撃であることを直接・間接的に証明する詳しい証拠資料まで伝達し、大韓民国国軍による南ベトナム民間人虐殺疑惑を払拭し、それによる評判の失墜、 軍事的影響および法律的・外交的責任の危険を除去しようとしただろうというのは、経験則から容易に予想できる」とし、「被告は先に見たこの事件の攻撃主体関連被告の弁論経過から分かるように、50年以上が過ぎたこの裁判所の弁論終結日まで、いわゆる偽装攻撃勢力の正体が北朝鮮軍なのかベトコンなのか、あるいは北ベトナム軍なのかさえ把握していないものとみられる」と述べた。 フォンニィ・フォンニャット事件の生存者たちは一貫して攻撃主体が韓国軍だったことを色々な事例を通じて明らかにし、これを調査した駐越米軍監察部報告書にも韓国軍が介入した情況が詳しく書かれている。さらに、韓国軍小隊長と兵士たちもハンギョレ21などとのインタビューで「韓国軍によって不祥事が発生し、これによって中隊長が早期帰国した」と、一貫した証言をしてきた。にもかかわらず、大韓民国政府はまるでベトナムの被害者たちが50年以上もベトコンの虐殺を韓国軍の行為として捏造し、嘘をついてきたかのように責め立ててきた。 控訴審の裁判所は、政府の論理に一つひとつ反論したが、これは被告が提出した海兵第2旅団憲兵隊捜査係長出身のSさん(88)の供述に対する判断からも明らかだ。2000年6月、ハンギョレ21とのインタビューで、「上部の指示によって筋書に合わせた捜査を行い、これに伴い良心の呵責を感じた」と陳述したSさんは、今回の控訴審裁判過程では過去のインタビューを否定する趣旨の陳述書を提出した。陳述書には「(陳述書作成当時)心身微弱精神混迷の状態にあった点」などが追加的に摘示された。裁判所は「この陳述書の証拠価値が疑われる」と判断した。「(ハンギョレ21の報道後)20年が過ぎても上記の記事を報道したメディアを相手に言論仲裁申請や訂正報道請求などの異議手続きを提起しなかった点」などから、当初上部の命令によりフォンニィ・フォンニャット事件に対する偽りの捜査をしたという25年前の陳述に信憑性があるとみたのだ。 2審裁判所は「この事件の攻撃当時、フォンニィ村の住民の一部がベトコンなどに同調していたとか、フォンニィ村にベトコンなど武装した敵対勢力の隠れ家があったと言った」という政府の主張も退けた。裁判所は「人間としての尊厳を最高の価値とする韓国憲法の解釈から、そのような事情だけでこの事件の攻撃のように多数の非武装の民間人を対象とする故意的かつ無差別な殺傷行為を正当化することはできない」とし、「この事件の攻撃に際し、南ベトナム各地で北ベトナム軍などによる『テト攻勢』が行われていたとか、この事件1中隊をはじめとする派越韓国軍などがこれに対応する作戦を実施していたとか、原告などこの事件の攻撃の被害者が大韓民国の国民ではないからといって、これと異なる見方をすることもできない」と判断した。 裁判所は結局、「様々な証拠によって認められる事実または事情を総合すると、この事件の第1中隊員のうち、氏名不詳の一部部隊員による原告と原告の家族をはじめとするフォンニィ村住民の殺傷行為が、故意または過失による行為であることが認められ、またこれは正当な理由なしに人間の尊厳性を害し、生命と身体を侵害する行為に該当し、国家賠償責任で職務行為の違法性要件を充足する。これに反する被告の主張はすべて受け入れられない」と結論付けた。また、1審と同じように1967年韓越請求権協定により賠償責任がないとか消滅時効が終わったという被告の主張を全て退けた。 ベトナム政府も控訴審判決を歓迎した。先月22日、ベトナム外交部のパム・トゥハン報道官はグエン・ティ・タンさんの裁判結果に対する韓国記者の質問を受け、「歴史的事実を反映した最近の控訴審判決は『過去を後にし、未来に向けて』精神を実現するのに寄与した」と評した。被告大韓民国の上告期限は7日午前0時まで。 コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ [email protected] )

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