2025年3月13日に配信開始されたNetflixシリーズ「アドレセンス」が、好調だ。イギリスの週間テレビ視聴率でストリーミング作品としては史上初となるトップを獲得。その勢いは国内にとどまらず、配信開始後4日間で2430万回、11日間で6630万回の視聴回数を記録し、Netflixのリミテッドシリーズ史上1位となる新記録を打ち立てた。日本でも「今日のテレビ番組TOP10」にランクインし続けている(記事執筆段階の3月28日時点では3位)。 ◇「アドレセンス」SYO 間違いなく大ヒット作といっていい成功を収めている「アドレセンス」だが、誰もが知っている超A級スター/スタッフが多数参加しているわけでもなければ、大掛かりなハリウッド作品でもない(本作の製作会社は知る人ぞ知る映画「サブマリン」等を手掛けたWarp Films)。しかも物語は「13歳の少年が殺人容疑をかけられたら?」という重めの内容で、娯楽作として気軽に見られるものでもない。 ではなぜ、これほどの現象をワールドワイドに引き起こしたのか? これは私見だが、「製作陣の労力」と「視聴ハードルの低さ」という反比例する条件が整ったから――もちろん競合作が少なかった等々のタイミング的なものもあるだろうが――のように見受けられる。 ◇口コミで拡散、大ヒットしたサスペンス 「製作陣の労力」、これは本作がワンカットで撮影されていることに他ならない。4話全てが冒頭から末尾まで長回し撮影の手法を取っており、視聴者を大いに驚かせた。本作はNetflixオリジナル作品を継続的にチェックしているアーリーアダプターを中心に火がつき、口コミで拡散していった印象だが、その際のトピックとして必ずと言っていいほど「まさかのワンカット」が挙げられていたように感じる。 ただ、ワンカット手法自体は、疑似や局所的な使用も含めれば「黒い罠」(1958年)、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(14年)「1917 命をかけた伝令」(19年)等々、長きにわたり培われてきた技術。 「アドレセンス」の出演・共同クリエーターを兼任したスティーブン・グレアム、フィリップ・バランティーニ監督、撮影監督のマシュー・ルイスは21年に映画「ボイリング・ポイント/沸騰」を発表したが、同作も同じ手法で製作されている(こちらはロンドンの高級レストランを舞台に巻き起こる騒動を約90分のワンカットで描写)。となれば、すさまじい労作ではあれど――目新しさの面で単に「ワンカットだからバズった」ととらえるのは早計だろう。 ◇ワンカットで殺人事件の背景を映し出す そこで目を向けたいのが「視聴ハードルの低さ」だ。「ボイリング・ポイント/沸騰」は日本でも劇場公開時に話題を集めたが、規模感という意味では全国一斉拡大公開ではなかった。全世界興行収入は140万ドル程度(Box Office Mojo調べ)であり、小規模といっていい。 同作で培った技術を全4話のリミテッドシリーズに拡大させ、世界有料会員数3億人超を誇るNetflixという巨大プラットフォームに乗せたことで、ユーザーが家にいながら/手元で再生できる環境が整った「掛け合わせ」の妙――品質のよいものに即アクセスできるとなれば、人が集まりやすくなるのは必定。 The Hollywood Reporterの記事によれば、本作は監督と演者のリハーサルに1週間、カメラワークの段取りにもさらに1週間、撮影に1週間と、1エピソードにつき3週間体制を敷き、就労時間が限られている子役もいるため1日2回のテークを上限にしたというが、その労苦が報われた形だ。 ◇「本当のところはわからない」 これらを前提に、ここからは<ネタバレあり>で「アドレセンス」の中身について考えていきたい。冒頭に「気軽には見られない重めの内容」と述べたが、本作は全4話の構造面も異質だ。 全編ワンカットという性質上、登場人物の行動範囲に付随するためドローン撮影を取り入れたとしても大規模な場面転換は難しいが、第1話こそ「自宅に警察が突入して移送→取り調べ」という動きはあるものの、第2話は学校、第3話は収容訓練施設、第4話は家とホームセンター、そして車内という限定的な空間に終始。かつ、視聴者が気になるであろう「殺人容疑で逮捕された13歳の少年は無実なのか?」に関しては、第1話でほぼ結論を出してしまう。 むしろ本作のテーマは(ある種エンタメ的な)「本当にやったのかどうか」ではなく、英国各地で少年たちが刃傷沙汰を起こす現実問題に端を発した社会派作品。アドレセンス=青年期の少年たちの危うさや、有害な男性性(が若年層にも流れていること)、SNS(交流サイト)社会の怖さ、事件の余波を徹底的に掘り下げていく。 特に後半の第3話・第4話はその傾向が強く、第3話は少年と心理療法士の対話の中でいたいけに見えていた彼に潜む暴力性や暗い感情、女性蔑視が顔を出し、第4話では事件発生から13カ月後、少年の家族が精神をすり減らしているさまが描かれる。 なぜ凶行に及んだのか、そもそも狂気の発端はどこにあったのか――という点について、明確に「これだ」と結論付けるのではなく、ただただ「本当のところは完全にはわからず、両親が原因を探し続けながら自らを責める」姿を映し出し続ける。 ◇受け継がれる男性性という呪い 第4話では、ストレスの限界を迎えた父がホームセンターで感情を爆発させ、周囲に当たりちらしてしまう。その様子は第3話でひょう変した息子に酷似しており、さらに彼の会話から封建的だった祖父の存在も明かされる。 父は息子に負の遺産が受け継がれないように努力していたが、その血には連綿と続く暴力性が宿っていたのだ。しかしこれは個人や世代、人種や国に限った話ではなく、今この時代のどの場所に暮らす人々にとっても、当事者性のある呪いであることを我々は知っている。13歳の少年にまでバトンがわたされてしまった、有害な男性性――。 息子の部屋に残されたクマのぬいぐるみを抱き、父が号泣しながら「ごめんな。パパの力不足だった」と懺悔(ざんげ)するラストシーンに、何を思うだろう? 責任の所在、咎(とが)を負おうとする保護者、現実とのリンク――。「アドレセンス」がワンカット手法を用いたのは、この痛みをダイレクトに視聴者に届けるためだったのだ、と感じずにはいられない。シームレスにつながってしまったこの呪いの連鎖を、断ち切ることはできるのか?という問いかけの面でも。 なお、本作は加害者家族に焦点を当てているが、加害者家族と被害者家族の対話を描いた21年の映画「対峙」も次に見る1本として推薦したい。罪は当人では終わらず、周囲の人間、ひいては社会へと伝播(でんぱ)してゆくもの。とすれば「アドレセンス」のヒットを契機に、社会問題に光が当たり、抑止・改善へとつながることを期待したい。 Netflixシリーズ「アドレセンス」は独占配信中。