拉致被害者、有本恵子さん(65)=拉致当時(23)=の父、明弘さんが亡くなった。被害者の帰国を待ちわびる親世代の家族は、政府認定に限れば横田めぐみさん(60)=同(13)=の母、早紀江さん(89)だけになってしまった。なぜこれほど時間がかかるのか。残された時間は少ない。 1988(昭和63)年9月。すべては一通のエアメールから始まった。 《長い間、心配をかけて済みません。私と松木さん(京都外大大学院生)は元気です。途中で合流した有本恵子君(神戸市出身)供々、三人で助け合って平壌市で暮らしています。事情あって、欧州に居た私達はこうして北朝鮮にて長期滞在するようになりました》(原文ママ) 欧州滞在中に消息を絶った石岡亨さん(67)=同(22)=から札幌市の自宅に8年ぶりに届いた手紙だった。消印はポーランド。後に分かることだが、石岡さんは手紙を北朝鮮で第三者に託したのだ。 同封されていたのは、有本さんの海外旅行傷害保険の証書。裏には、石岡さんと有本さんの写真が貼られ、それぞれの名前、生年月日、自宅の住所、電話番号、父親の名前、旅券番号などが書かれていた。そして乳児の写真…。石岡さんの家族が神戸市の有本さんの実家に電話した。 「パンやチーズの製法を身につけたい」と欧州各地を転々としていた石岡さんと、英国留学中に消息を絶った有本さんは別々に北朝鮮に行き、現地で一緒になった。 有本さんの家族は地元選出の社会党(当時)議員事務所や外務省に足を運び救出を懇願したが、「門前払い」をくらう。石岡さんらの失踪に、日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った元共産主義者同盟赤軍派のメンバーや後に合流した日本人妻、そして北朝鮮工作員が関与していたことが発覚したのは平成に入ってからだ。 ■被害者救出の発想なく 手紙が届いた88年は北朝鮮による拉致を追及するチャンスが何度もあった。初動対応が悔やまれてならない。 1月、乗客・乗員115人が犠牲になった大韓航空機爆破事件(87年)の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元工作員(63)が韓国・ソウルで記者会見。「日本で拉致された『李恩恵(リウネ)』という女性から日本人化教育を受けた」と証言した。金元工作員は日本人になりすまし犯行におよんだのだった。