みのもんたさん死去 80歳 会長を務める会社が発表

日本テレビ系情報番組「午後は〇〇 おもいッきりテレビ」、TBS系「朝ズバッ!」のMCなどで知られる人気司会者、みのもんた(本名・御法川法男=みのりかわ・のりお)さんが1日未明に死去した。みのさんが会長を務める水道メーター会社「株式会社ニッコク」が明らかにした。80歳だった。文化放送アナウンサーだったみのさんは、軽妙な語り口でラジオDJやナレーション、司会者として引っ張りだこに。2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス認定された、稀代のMCだった。 健康的に日焼けした肌に豪快な笑い声、そしてテレビの前の奥さまを「お嬢さん」と呼ぶ軽妙洒脱(しゃだつ)なトーク術。老若男女に支持された名司会者が天国に旅立った。みのさんは12年、自身のスタイリストを務めてきた最愛の妻・靖子さん(享年66)に先立たれて以降、鎌倉の大豪邸で一人暮らしをしていた。 世田谷区出身。立大では放送研究会に所属し、67年に文化放送に入社した。69年の同局の深夜番組「セイ!ヤング」の初代パーソナリティーに抜てき。若者から圧倒的な人気を得る一方で、フジ系「オールスター水泳大会」の司会などテレビにも活躍の幅を広げた。 79年に退社。その後もフジテレビで重宝され、「プロ野球ニュース」や「珍プレー好プレー」のコミカルなナレーションでも人気に。「なるほど! ザ・ワールド」「オールナイ トフジ」でのリポーター業でも活躍した。 89年4月に「おもいッきりテレビ」の2代目司会に就任。生活情報番組として中高年の女性から支持を集めた。みのが番組で「健康にいい」と紹介した食材は、その日の夕方にはスーパーの陳列棚から姿を消すこともしばしば。続く「おもいッきりイイ!!テレビ」も含め、約20年間にわたりお昼の顔でもあった。 さらに、05年春からはTBS系「朝ズバッ!」「サタデーずばッと」のMCに就任。朝から昼まで出ずっぱりとなったことに加えて、その年のNHK紅白歌合戦では、総合司会を務めた。06年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス認定された。帯番組のほかに、フジ系「クイズ ミリオネア」、日本テレビ系「秘密のケンミンSHOW」などレギュラーのバラエティーでも高視聴率を次々たたき出した。 司会業のほか、「ニッコク」の社長という2足のわらじをはきながらエネルギッシュに活躍。大の酒好きとしても知られ、銀座のクラブを毎晩4、5軒ハシゴし、深夜に帰宅しては翌朝仕事に出かけるという鉄人ぶりでも知られていた。 13年秋に民放のテレビ局員だった次男が窃盗事件を起こし逮捕されたことを受け、全ての報道番組を降板。みのさんは、会見で涙ながらに「辞めなければ収まらない風潮を感じた」などと無念さをにじませた。 16年にAbemaTV(現ABEMA)「みのもんたのよるバズ!」で報道キャスターに復帰(19年6月まで)。その後もバラエティーやラジオ番組の出演は続けていたが、20年3月に「秘密のケンミンSHOW」を降板した。一時は引退説も叫ばれたが、同年8月から読売テレビ「朝からみのもんた」(21年3月まで、関西ローカル)に出演。同番組が最後のレギュラー番組になった。 21年12月にテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜・後1時)にゲスト出演した際には、18年からパーキンソン病を患っていたと告白。「筋肉がなくなるもんですから。ベッドから降りる作業が、5分かかっていたのが10分、10分が20分みたいになりますね」と明かしていた。 近年は公の場に出ることは少なくなっていたが、昨年3月には作家・伊集院静さんのお別れ会に出席。同じ立教大の後輩が先立ったことに「神様っていじわるだ。惜しい、本当に惜しいね」と悔やんだほか、同12月に小倉智昭さんが亡くなった際には、スポーツ報知の取材に「ライバルだと思って意識はしていた。少し待っててほしかったね。先に逝っちゃった…。残念だ」と話していた。 ◆みのもんた 本名・御法川法男。1944年8月22日、東京都出身。立大卒業後の67年に文化放送に入社し79年にフリー。04年から2年連続長者番付でタレント1位に輝き、05年NHK紅白歌合戦司会。その他の番組にTBS系「どうぶつ奇想天外!」「学校へ行こう!」など。

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