「つながろう つなげよう 次は狭山だ」をテーマに、13市民団体の呼びかけによる「狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西実行委員会」が主催し、部落解放同盟大阪府連合会や労働組合など10団体が協賛する集会が2月24日に大阪市内で開かれ、オンラインを含め約400人が参加した。 1963年5月に埼玉県狭山市で女子高校生が殺害され、当時24歳の石川一雄さんが逮捕された。石川さんが被差別部落出身だったことから警察が犯人は部落に住んでいるとの見込み捜査をするなど、背景に部落差別があるとされてきた。石川さんは自白して一審で死刑判決。東京高裁の二審以降は無実を訴え続けたが、77年に最高裁で無期懲役が確定。服役中、および94年の仮釈放後に再審請求したが、いずれも棄却された。2006年に第3次となる再審請求をしたが、19年近く経過した現在も再審開始が実現していない。 集会では部落差別の情報を発信するサイト「BURAKU HERITAGE」運営メンバーの上川多実さんが「部落問題の現在から見る狭山事件」の題で記念講演。「社会には多数の側にいるだけで利益や権力を得て優位に立てる『マジョリティ特権』がある。マジョリティの側がマイノリティの部落のことを知らないことが差別を温存し、無意識の差別につながる。石川さんが警察の見込み捜査で逮捕され、裁判所が再審を開始しないのも、マイノリティに無関心でいられるマジョリティ特権が存在するからだ」と訴えた。 特別アピールとして、菊池事件再審請求弁護団の徳田靖之弁護士が「狭山事件と菊池事件 冤罪としての共通の構造を探る」の題で講演した。1952年に熊本県でハンセン病患者と報告された男性が報告者の役場職員を殺害したとされる菊池事件では、男性が療養施設内の特別法廷で死刑判決を受け、再審請求したが、3回目の請求が棄却された翌日に死刑が執行された。徳田弁護士は両事件とも偏見と差別が作り出した冤罪だと指摘。共通点として捜査機関による証拠捏造の疑いを挙げた。 菊池事件では殺害の凶器とされた草刈り鎌が凶器でないとの法医学鑑定が出た後、血痕も指紋も付着していない短刀が農作業小屋で見つかった。狭山事件では被害者が所持していた万年筆が石川さん宅での2回の捜索で発見されなかったのに、逮捕から1カ月以上過ぎた3度目の家宅捜査で勝手口の鴨居の上から発見された。