“麻原彰晃の娘”の葛藤を追ったドキュメンタリー「それでも私は 」6月公開

1995年3月に起きた地下鉄サリン事件の首謀者・麻原彰晃(松本智津夫)の娘・松本麗華を追ったドキュメンタリー「それでも私は Though I'm His Daughter」が6月14日より東京・K's cinemaほか全国で順次公開される。 麗華は父親が逮捕された当時は12歳。それ以来、どこに行っても父の名前、事件の記憶、「お前はどう償うのか?」という問いがつきまとってきた。また父親が裁判途中で言動に異常を来し、彼女は「死刑の前に治療して事実を話させてほしい」と願うが、間もなく死刑が執行され、悲しみと絶望のうちに生きることになる。それでも人並みの生活を営もうとする麗華だったが、定職に就くことや銀行口座を作ることさえ拒まれる。国は麗華に対して教団の幹部認定をいまだに取り消さず、裁判所に不当を訴えても棄却されてしまう。「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私 【告白編】」でもオウム真理教関連の事件に向き合った長塚洋が、6年の取材を重ねて制作された。 長塚は「加害者への罰を求めることはたやすいが、ではその家族にどう向き合うべきなのか。映画を通じて当事者の存在を感じ、問いを共有し、考え続けていただけたらと願う」とコメント。本作を鑑賞した森達也は「観ながら呼吸がうまくできなくなる。彼女がこれまで過ごした時間、現在、そしてこれからを思う。多くの人に観てほしい。多くの人は観るべきだ」と述べている。そのほか雨宮処凛、田原総一朗、浜田敬子、春名風花、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)のコメントを以下に掲載した。 ■ 長塚洋 コメント 「加害者家族」は事件の一方の当事者だと知っていても、その苦しみや自分の人生を生きたいという切実な願いに、私たちはどれだけ目を向けてきただろうか? 世に最も憎まれた死刑囚の親族という究極の身の上にある主人公を追いながら、ずっと自らに問い続けていた。加害者への罰を求めることはたやすいが、ではその家族にどう向き合うべきなのか。映画を通じて当事者の存在を感じ、問いを共有し、考え続けていただけたらと願う。 ■ 雨宮処凛(作家・反貧困活動家)コメント 「麻原の娘」として生まれ、「アーチャリー」として全国に存在を知られる。 生まれてくる環境など誰も選べないのに、彼女の人生はあまりにも苦難に満ちている。 それでも、前を向いて生きる麗華さんの姿に、背筋が伸びる思いがした。 ■ 田原総一朗(ジャーナリスト)コメント ぼくには想像を絶する、 いつ終わるともしれぬ状況にいる彼女が それでも懸命に生きている。 生きようとしている。 応援したい。と思った。 ■ 浜田敬子(ジャーナリスト・元AERA編集長)コメント ただ1人の娘として、女性として生きたかっただろう。仕事をして恋をして、友達と笑い合う。 そんな当たり前の人生を奪われ、喪失と向き合い続けるのは被害者や被害者の家族だけではない。 ■ 春名風花(女優・声優・アイドル)コメント 言葉を選ぶ目元から伝わる悲しみ。穏やかに語る口元。そのギャップに胸が苦しくなる。12歳の頃からずっと、彼女の“生”は国や社会から拒絶されてきた。優しさを失わないために、何度、自分を殺したのだろうか。 ■ 村本大輔(ウーマンラッシュアワー)コメント 彼女がなにした? ■ 森達也(映画監督・作家)コメント 彼女はとても脆い。そして圧倒的に強い。どちらかではない。どちらもある。つらいはずだ。嗚咽が聞こえる。吐息を感じる。でも彼女は前に進む。決して誇張ではなく、観ながら呼吸がうまくできなくなる。 彼女がこれまで過ごした時間、現在、そしてこれからを思う。 多くの人に観てほしい。多くの人は観るべきだ。 ©Yo-Pro

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