ステンレス製ボディに華麗なガルウィングドア、そして宇宙船のようなフォルム。「デロリアン DMC-12」は、1985年公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で世界中の観客を魅了したタイムマシンのベースとなった車両だ。 映画のあらすじは主人公のマーティ・マクフライは、変わり者の科学者ドク・ブラウンが発明したタイムマシン(改造されたデロリアン車)で偶然1955年にタイムスリップしてしまうSF映画。過去では、マーティは若かりし頃の両親と出会うが、自分の母親に好意を持たれてしまうというトラブルに巻き込まれる。マーティは両親の出会いを確実にして自分の存在を保証しながら、ドクの助けを借りて雷の力を利用して1985年の現代に戻ろうと奮闘するのである。 デロリアン DMC-12は今では伝説的な車として広く認知されているモデルだが、実は販売された当時は商業的失敗作だった。バック・トゥ・ザ・フューチャーが公開された1985年の時点ではすでに製造が中止されていたこの車は、どのようにして20世紀を代表する映画アイコンへと変貌したのか。実在のモデルとサイエンスフィクション映画が交差した奇跡の物語を紐解いていく。 「デロリアン DMC-12」の誕生と悲劇の始まり デロリアン「DMC-12」の物語は、自動車業界の風雲児と呼ばれたジョン・デロリアン氏の野心から始まった。1970年代、ゼネラルモーターズ(GM)の花形幹部として成功を収めていた彼は、突如として自らの自動車会社「デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)」を設立する道を選ぶ。 1975年の創業後、デロリアン氏はイタリアの天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏に未来的なスポーツカーのデザインを依頼した。その結果生まれたのが、車としては非常に稀な無塗装のオールステンレスのボディと、特徴的なガルウィングドアを持つDMC-12だった。 当初は1万2,000ドル(約264万円)で販売される予定だったこのモデルは、開発段階の技術的問題と生産コストの高騰により価格が大幅に上昇。1981年の発売時には2万5,000ドル(約550万円)という高額な値段設定となってしまう。 生産拠点は政治的理由から北アイルランドのベルファストに置かれ、英国政府から約1億ドル(当時の約220億円)の補助金を受けて工場を建設した。しかし、経験不足の労働者や複雑な国際供給網の問題に悩まされ、生産は遅延とコスト超過の連続だった。そして、1981年1月に初めて出荷されたのは、高価格に見合わないパフォーマンスの低さや初期不良の多さで評判を落とし、予想を大幅に下回る販売数に終わった。 破産と不名誉。映画登場前に消えたメーカー 1982年、米国を襲った不況により高級車市場は冷え込み、DMC-12の販売はさらに落ち込む。さらに1982年10月、不幸は重なり、デロリアン氏はコカイン取引に関わったとしてFBIによって逮捕された。「会社を救うためだった」と後に主張するも、この事件はDMC-12の失敗により経営が思わしくなかったデロリアン・モーター・カンパニーに致命的な打撃を与えた。 1982年末に工場は閉鎖され、会社は破産。DMC-12は、わずか2年間の生産期間で約9,000台が製造されただけで、デロリアン・モーター・カンパニーは歴史の闇に消えたかに見えた。しかし、多くの自動車マニアにとって、DMC-12は「良いコンセプトを持ちながらも実現できなかった失敗作」として評価が定まりつつあった。 一方、当の本人であるデロリアン氏は、その後の裁判で1984年に無罪となるが、彼の自動車メーカーとしての夢はすでに崩壊していた。破産したデロリアン・モーター・カンパニーの資産は清算され、残されたDMC-12の在庫は投資家たちに分配された。 このような経緯からDMC-12の存在は消えたかのように見えたが、製造終了からわずか3年後、このモデルには思いがけない運命が待っていた。 奇跡の復活を遂げたDMC-12。タイムマシンとしての第二の人生 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の製作にあたり、監督のロバート・ゼメキス氏とプロデューサーのボブ・ゲイル氏はタイムマシンとなる車を探していた。当初は冷蔵庫をタイムマシンにする考えがあったものの、子供たちが真似をする危険性を懸念して変更。未来的な外観と「見た目のインパクト」を重視した結果、すでに生産終了していたDMC-12が選ばれた。 1985年7月3日、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開されると、世界興行収入は3億8,000万ドル(当時の約950億円)を超え、その年の最大のヒット作となった。そして劇中、1.21ギガワットのエネルギーと88マイルの速度で時間旅行するDMC-12は、一躍時の車に。製造中止になって3年経っていたにもかかわらず、デロリアンが20世紀を代表するアイコンへと変貌を遂げた瞬間だ。 1989年公開の続編「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」と、1990年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」でも活躍したデロリアンは、その独特のデザインと映画での役割が見事にマッチし、タイムマシンの代名詞として世界中に知られることとなった。 デロリアンDMC-12は映画の力によって、商業的失敗から奇跡的な復活を遂げたのだ。 現代のカルト的人気とDMC-12の新たな船出 現在、生産終了から40年以上が経過したデロリアンDMC-12は、熱狂的なファンを持つモデルとなっている。残存する約6,500台は、新車価格と比較しても高額な相場で取引され、状態の良い個体に至っては当時のおよそ3倍という極めて高い相場で取引されることも少なくない。現在では各地のファンクラブやオーナーズグループが結成され、パーツの製造や修理のノウハウが共有されている。 テキサス州ヒューストンには、デロリアン・モーター・カンパニーの商標権と部品在庫を買い取った「新生デロリアン・モーター・カンパニー」があり、レストアサービスとともに限定的な新車生産も計画中だ。2022年には新たな「DeLorean Alpha5」という電気自動車(EV)のプロトタイプも発表され、伝説の車名が現代に蘇ろうとしている。 映画の中でドク・ブラウンが言った「未来へ行くんだ」という言葉通り、デロリアンDMC-12はその誕生時の挫折を乗り越え、映画文化と自動車史の交差点に永遠の地位を確立した。商業的に失敗した製品が、フィクションの力によって不朽の文化アイコンへと変容した稀有な例として、デロリアンの物語は今も多くの人々を魅了し続けている。