「検察の危機」に抜擢された2人の検事総長、共通項は「広島」と「辣腕政治家」

検察の頂点に君臨し、全職員を指揮監督する権限を持つ検事総長。戦後施行された検察庁法に基づく総長はこれまでに33人誕生しているが、その多くが旧帝大出身かつ法務省での勤務経験が長い行政官型。捜査実務の経験が豊富な現場型は少数派といえる。そんな中でも、過去には異彩を放つ総長が2人いた。共通するキーワードは「広島」と「辣腕政治家」だ。 ■「赤レンガ」と「現場捜査」 検察官には「赤レンガ派」と「現場捜査派」という2つのエリートコースがある。 前者は赤レンガ造りの法務省旧庁舎から命名されたもので、主に法務省で行政官として勤務。事務方トップの事務次官を経て、検察トップの検事総長をゴールとする。一方、後者は主に検察庁で捜査官として勤務。東京地検特捜部長を経て、検事総長に次ぐ認証官(任免に天皇の認証が必要な官吏)ポストの次長検事か検事長がゴールだ。 法務・検察OBは「一概にはいえないが」と前置きしつつ「赤レンガで上り詰めてきたのは旧帝大、特に東大の出身者。これに対し、現場でのし上がってきたのは私学、中でも中央大の出身者が多かった」と振り返る。 司法試験合格者数を出身校別にみると、令和2年が①東大法科大学院②慶大同③京大同-の順。その40年前の昭和55年は①東大②中大③早大-の順となっている。 「事実上、高級官僚養成機関としての役割を担った歴史がある」(同OB)東大と、日本の私立大を代表する法学部を擁する中大。両校が両ルートで主流を占めたのも納得がいく。 ■非旧帝大出身の東京特捜部長経験者 そんな〝すみ分け〟があるとされる検察エリートだが、検察捜査の「象徴」である東京地検特捜部長を経験し、検事総長に上り詰めた「現場派総長」は4人いる。このうち、さらにレアな存在である「非旧帝大出身者」が、戦後第18代総長を務めた吉永祐介氏と、戦後第26代総長の笠間治雄氏だ。 吉永氏は、国立大ではあるが旧帝大ではない岡山大出身。東京地検特捜部副部長時代にロッキード事件の主任検事を務め、東京地検検事正としてはリクルート事件で特捜部を差配するなど「特捜の鬼」の異名で知られた。 中大出身の笠間氏は、東京地検特捜部長時代にKSD事件や石橋産業事件などを手掛け、国会議員を計4人逮捕した実績を持つ。戦後初の私学出身、法務省本省の勤務経験がないのは史上初という異例の抜擢だった。

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