1948年に制定された風営法の改正の歴史をたどった風俗ジャーナリスト・生駒明氏の連載最終回の後編。風俗業界への規制を年々強めてきた風営法は、風俗業界にとって「敵」だったのだろうか──。 ◆戦後から規制されてきた「ダンス」の文言が消えた 戦後長きにわたってダンス営業を規制してきた風営法の改正案の条文から「ダンス」という文言が削除されたのが、’15年の改正である。 国民生活の多様化が進んだことや、ダンスに対する国民の意識が変化してきたことなどを踏まえ、長い間取り締まりの対象だった「ダンスホール」が風俗営業ではなくなった。 背景には盛り上がるクラブ規制反対運動があった。’12年4月に大阪のクラブの経営者が風営法違反の容疑で逮捕されたのを機に起こったもので、「現在クラブで踊られているダンスは、性風俗秩序を害するおそれを念頭においてつくられた風営法が規制しているダンスとはいえない」「風営法ができた当時とは時代背景が違う。今ではダンスは十分に市民権が得られており、規制の対象にすべきような業態ではない」などと風営法の問題点を指摘し、改正を求めたのである。 こうした運動が実り、’15年6月17日に改正風営法が成立する。これによって「ダンス+酒類」を提供するクラブを規制するものとして、代わりに「特定遊興飲食店営業」が新設された。「クラブ」や「ディスコ」などの深夜の営業については許可制となり、立地規制、営業時間制限、18歳未満の立ち入り制限等の規制の下で営業を営むことができるとされた。 店内が10ルクス以上の明るさなら、酒類を含む飲食を提供し客が音楽に合わせて踊るようなクラブなどの24時間営業が原則として認められたのである。だが、自治体が条例で営業時間や営業地域を制限できるとされ、東京都では午前5時から6時まで営業禁止とされている。 加えて、深夜にキャバクラなどの接待飲食店やクラブやディスコなどの特定遊興飲食店を営む者の義務として、「店舗周辺における客の迷惑行為の防止処置」「苦情処理に関する帳簿の備え付け」が必要になった。「お客さんが帰った後でも店舗の周りで騒いでいたらやめさせなさい」「クレーム処理をしたら記録しておきなさい」ということである。「帰った後のことは知らない」では済まされないのだ。 ◆「定義のあいまいさ」の懸念 困った立場に置かれたのがスポーツバーやダーツバーである。スポーツバーの店員が客に応援を呼びかけるなどして盛り上げると「遊興」を提供したとみなされ、ダーツバーで客が店員と対戦するなどの「参加型」のサービスをすれば「接待」を提供したとみなされるからだ。新法における「遊興」や「接待」の定義のあいまいさを指摘する声は強い。 なお、この改正に先駆けて、’12年11月に警察庁は風営法施行令と施行規則を改正している。それまで社交ダンス系の2団体が認定する講師のいる教室のみ規制の適用を免除してきたが、改正後はアルゼンチンタンゴなど社交ダンス以外のダンス団体にも門戸を開いた。 現在、国内のダンス市場は少子化が進む中で例外的に成長を続けており、右肩上がりで増加している。今思うと風営法の見直しは、避けられないものだったのかもしれない。 また、風俗店の早朝の営業開始時刻が「日の出」から「午前6時」に変更されたことも大きな出来事だった。これにより新法が施行された’16年6月23日から、厳密な意味での日の出営業が不可能となった。日の出直後には「夜通し飲んで直行する」「朝早くから仕事をする人が立ち寄る」などの需要があった。1985年の改正風営法施行後から始まり、約30年間も存在した営業形態がなくなったのは、残念である。