小さい書房 安永則子 異業種からの挑戦「絵本作りはテレビに似ている」

TBSの報道記者として、さまざまな事件現場を取材してきた安永則子さん。出産後のある決断を機にひとり出版社「小さい書房」を立ち上げ、大人が読んでも心に響く絵本作りをしています。「小さい書房編」第1回は、絵本を出版の主軸にした理由や累計8万5000部を発行している『二番目の悪者』について話を聞きました。 ●報道記者から書籍編集者に、「子どもと晩ごはんを食べたくて」 安永さんは17年間TBSテレビで報道記者などを務められた後、2013年に「小さい書房」を設立されました。テレビの仕事を続けるという選択肢はなかったのですか? 私はテレビの仕事が好きで、出産後も記者を続けるつもりでした。それまでずっと全力で働いていたし、子どもがいても同じように仕事をしたいと思っていたからです。でも、次第に「子どもと一緒に晩ごはんを食べたい」という気持ちが強くなりました。報道の現場は24時間体制で、呼ばれたらいつでもアクセル全開で飛んでいくという世界です。子育てをしながらその働き方を続けられるのか考えたときに、自分には難しいと感じました。大きな会社組織は役割や働き方の選択肢が多いので、やりようはいくらでもあったと思います。でも、その組織の中で自分がやっていきたいかというと、そうではない気がしたのです。 報道とは違う道に進もうと考えていたときに、社内の出版に関わる部署へ異動しました。大手出版社と組んでドラマのムック本や番組のレシピ本を制作する窓口役として働く中で、書籍編集のノウハウを学びました。その頃、ひとり出版社が増えているという記事を読んで、びっくりしたんです。私の中で出版社とは、都心に大きなビルを持って多くの社員を抱えて本作りをしていく場所だと思っていましたから。「1人で出版社ができるなら、私もやってみたい」と心が動きました。 加えて、私は子どもと夕食を食べた後、夜にまた仕事をするという働き方をしたかったのです。そう考えると、「私は会社員という枠組みを取っ払ったほうがいい」と気づきました。当時はまだ転職が一般的ではなかったこともあって、退職を決断するまで数年かかりましたが、2013年にTBSテレビを退職して、2014年に小さい書房として初めて本を出版しました。 ●1冊目の絵を長友啓典さんに依頼 小さい書房はこれまでに13冊刊行していますが、ほとんどが絵本です。絵本を出版の主軸にしたのはなぜですか? 私はテレビ番組の編集経験はありますが、書籍編集は経験していませんでした。ですから、出版社を立ち上げてすぐにオールジャンルの出版を手がけるのは無謀だと感じたのです。ひとり出版社として、まず得意分野を持つべきだと考えたときに、子どものために図書館の絵本を100冊以上読んだ経験を思い出しました。ストーリー性のある絵本は、大人が読んでも深く心に響きます。自分でも、人の心を打つ力のある絵本を作ってみたいと思ったのです。 最初に出版したのが『青のない国』(風木一人 作/長友啓典・松昭教 絵)です。1冊目の絵をグラフィックデザイン界の重鎮である長友啓典(けいすけ)さんに手がけてもらえたことは、小さい書房の大きな後押しになりました。今思えば恐れ多いことですが、実は当時は長友さんのことを知らなかったんです。 本作りが行き詰まったときに長友さんを紹介していただきました。多忙な方なので引き受けてもらえるか分かりませんでしたが、ひたすら自分のやりたいことを伝えたら、面白がって快諾してくださったのです。長友さんから主人公のモチーフが出たとき、作品のコンセプトに完全に合っていて驚きました。特定の誰かを描くのではなく、シルエットだけで多様な人が自分を重ねられるような“器”を描いてくださった。まさにプロの仕事です。すごい方だと思いました。 1冊目の絵を長友さんが担当してくれたことで、小さい書房の信用につながったのかもしれませんね。 そうですね。長友さんが『青のない国』の原画展を開いてくださって、その取材を受けた記事が掲載されて、小さい書房の認知が広がったと思います。小さい書房の立ち上げ当初で、何者でもなかった私と組んでくれたことはすごくカッコいいと思うし、文章を書いてくれた風木さん、絵を担当した長友さんと松さんには今でも足を向けて寝られません。 もう1つ印象に残っているのは、『青のない国』の刊行後に風木さんが雑談中にぽろりと言った「絵本とテレビは似ていますね」という言葉です。テレビは映像とナレーションの組み合わせ、絵本も絵と文章の組み合わせという共通点がある。まったく異業種に飛び込んだはずなのに違和感なく絵本を作れたのは、その構造が似ているからだと腑に落ちました。風木さんの言葉にも力をもらって、絵本を主軸にする覚悟が固まったように思います。 ●A5判の小さな絵本で「絵本棚」を飛び越える 絵本といえば、福音館書店や偕成社など長く絵本業界をけん引してきた大きな出版社があります。絵本を主軸に展開するときに、どんなふうにその存在を捉えていたのですか? 出版社を始めるに当たりリサーチで大型書店を巡ったときに、「大人向け絵本」という棚を見つけました。そこに並んでいたのが、ほとんど翻訳絵本だったんです。大人向けの絵本といえば海外の作品なのだと知ったときに、「日本の作家さんと一緒に、大人も読める絵本を作ってみたい」と思いました。少なくとも、私自身が読んで心に響く絵本を作りたかった。もちろん、絵本といえば児童書のマーケットが大きいのは分かっています。でも、私が1人で出版を始めるにあたって、福音館書店のような大手と同じことをするつもりはありませんでした。まったく別のフィールドの絵本を作ろうという意識で、絵本を主軸に据えました。 書店には「絵本棚」があり、絵本というジャンルで出版すると、内容にかかわらず無条件で絵本棚に入れられてしまうこともありそうです。 その懸念はありました。ただ実際は、小さい書房の本は必ずしも絵本棚に置かれているわけではないと思っています。一般的な絵本は、子どもの視認性を高めるためにB5判などの大きなサイズが主流です。しかし、小さい書房の絵本は通勤バッグにも入るA5判の小さなサイズで作ることにしました。最初に出した3冊『青のない国』、『二番目の悪者』(林木林 作、庄野ナホコ 絵)、『歩くはやさで』(松本巌 文、堺直子 絵)はすべて小さなA5判で作っています。 ●“周囲の沈黙”に着目した『二番目の悪者』 私(石川)はライターの仕事以外に、上野の新刊書店「ROUTE BOOKS」で選書をしています。たしかに『二番目の悪者』は大人が買っていくことが多いです。 『二番目の悪者』は、累計で8万5000部を発行しています。刊行当初は、まず大人が手に取ってくれた印象があります。その大人たちが自分の子どもに渡したのか、学校司書の方々が関心を寄せてくださったのか正確には分かりませんが、学校現場で読んでもらう機会が増えて、一気に子どもにも広まっていった実感があります。 『二番目の悪者』は、金のたてがみを持つ金ライオンが王様になりたいと願い、王様候補の心優しい銀ライオンを陥れるために嘘の噂を広める話です。町の人々は噂に惑わされて、いつの間にか銀ライオンは悪者にされてしまう。示唆に富んだ物語ですが、これは安永さんの報道記者の経験が反映されているのですか? 当時は意識していませんでしたが、今思えばそうかもしれません。記者時代は事件取材が多く、さまざまな現場を経験しました。例えば事件では一番悪い人が逮捕されますが、その周囲の人たちもなんとなく気づいていたのではないかと感じることがありました。学校のいじめ問題などにも言えることで、加害者の周りの人がうっすらと異変に気づきながら何もしない。もしその段階で誰かが止めていれば、状況は変わっていたかもしれない。そう感じることが、取材の中でありました。 ただ、最初からこのテーマで本を作ろうと思っていたわけではないんです。ひとり出版社ですから、自分で企画を立てないと本が出せません。それで自分の経験や心に引っ掛かっていた出来事を振り返ったときに、報道記者だった頃に感じていたことなども思い出して、企画書にまとめて作家さんに提案したのです。 報道記者時代には、「周囲の人にも責任があるのでは?」というところまで踏み込めなかったのですか? 報道だから踏み込めないというより、社会全体が踏み込めないのではないでしょうか。法律的に悪い人は罰せられるし、職を辞するなどの形で社会的にも糾弾されます。しかし、「その周りの人も悪いよね」とまでは、誰もはっきりと言いませんよね。気づこうと思えば気づけたかもしれないけれど、その白黒はつけない。それは誰かの仕事ではなく、周囲にいる人自身が気づくしかないことだと思います。 『二番目の悪者』は、人ではなく実在しない動物たちを登場させる物語の中で、もう一歩踏み込んで「多くの人が心の奥で感じているかもしれないこと」に触れられた気がします。今思えば、これが私のやりたかった出版なのかもしれないと思っています。 取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝

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