イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発…沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い

昨年8月、イスラエル軍の収容施設でパレスチナ人に対して性的虐待が行われたとされる映像をイスラエルのテレビ局がスクープした。 この映像をリークしたのは、軍の作戦などに法的判断を下す軍事法務総監、イファト・トメル・イェルシャルミ少将だった。 映像が公になったことで兵士5人が逮捕・起訴された一方で、リークの責任を認めたトメル・イェルシャルミは今年10月に辞任し、服務規則違反で逮捕・拘束された。辞表には、軍事法務総監としての苦悩がつづられていた。 「残念ながら、『どんなに凶悪な拘束者に対しても、決して行ってはならない行為がある』という基本的理解は、もはや全員に共有されているわけではない」 彼女の決断の背景には、軍の倫理観喪失という重い事態を国民に広く訴えたかったという思いがあったのだ。だが、国家はこの告発に冷淡だった。 政治家たちはリークそのものを批判。首相のネタニヤフは「イスラエルがこれまで直面した中で最も深刻な広報外交への攻撃」と述べて国家の対外イメージを悪化させると非難し、メディアも加害者である兵士らを擁護した。 防犯カメラの映像を流出させたことは重大な服務規則違反である。しかし、軍による暴力行為は全く別問題だ。 「世界で最も倫理的な軍」を自称するイスラエル軍がパレスチナ自治区ガザで繰り返してきた行動には、倫理を逸脱した事例が数多く存在する。民間施設を含む容赦ない攻撃は、国内外の法律家が国際法違反の可能性を指摘している。 また、軍の綱領で禁止されているにもかかわらず、パレスチナ人を地雷探知の「人間の盾」として利用したり、破壊された一般住宅から女性用下着を取り出してカメラの前でおどけてみせる兵士たちの映像がSNSで拡散されたりもした。 この「世界で最も倫理的な軍」の「倫理綱領」の策定に関わったイスラエル人哲学者のアサ・カシェル自身が、このスローガンがかえってイスラエル軍の非道徳的な行為の免罪符になっていると厳しく批判する。 イスラエルでは、軍は単なる国防組織ではない。多様な言語や背景を持ち、「人種のるつぼ」にいる国民が寝食を共にしながら、兵役という共通の経験を通じて結び付く「社会」そのものであり、軍の倫理は国家全体の倫理観を映す鏡でもある。 過去には、情報機関出身の兵士が、テロと無関係なパレスチナ人の暗殺命令に異議を唱えた例もあった。このように組織内部から良心の声が上がり、自浄作用が働くのもこの国が持つ風通しの良さであり、懐の深さであった。その「良心」の延長線上にあったのがトメル・イェルシャルミの告発であった。 しかし、論点をそらした非難が飛び交うなかで彼女の訴えは押し殺され、社会の圧力に耐えかねて、11月には一時失踪に追い込まれる事態となった。 今、イスラエル社会はかつてないほどの閉塞感に包まれている。国家の倫理を問おうとすれば敵として扱われ、社会の分断が進む。 その結果、国外脱出を選ぶ国民が急増している。22年から24年8月にかけて離国した人の数は約12万5000人。21年までは年間4万人程度であったが、24年にはわずか8カ月で5万人に達した。その背景には、国の現状への強い危機感がある。 国家の未来に警鐘を鳴らす「良心」が国を去りつつある今、イスラエル社会はどこへ向かうのか。 トメル・イェルシャルミが人生を賭けて告発したイスラエル軍の倫理の崩壊は、軍だけでなく国家の在り方そのものを問い直すきっかけとなるはずであった。 しかし、その声が国民に届くことはなく、今のイスラエルではただただ静かにかき消されるだけなのだ。

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