高知県四万十市在住の写真家、木戸孝子さん(54)は2007年10月、働いていた米国で突然、逮捕された。身に覚えのない、児童に対する性犯罪容疑だった。逮捕された衝撃は日本へ帰国後のキャリアに大きな影響を与え、現在のテーマ「スキンシップ」につながったという。木戸さんに現在までの道のりを聞いた。【聞き手・小林理】 ――木戸さんの著書「見えない日常」(25年2月発行、鳳書院)は、木戸さんが拘置所にいる場面から始まります。 ◆当時、私はニューヨークの白黒銀塩写真の現像所で働きながら、自分の作品を撮っていました。一緒に住んでいたボーイフレンドの10歳の息子が夏休みに日本から遊びに来て、「一緒に住みたい」となって、3人で暮らし始めました。 子どもも慣れてきて、狭いアパートメントで一緒にお風呂に入り、一緒に寝て、という毎日でした。子どもが三脚とセルフタイマーで撮影することもありましたが、カメラがあるのが当たり前の生活だったので、家の中で何を撮影しているかはほとんど気にしていませんでした。そんな家族スナップのフィルム1本を「何撮ったろう?」と思いながら、近所のドラッグストアに現像に出しました。 ――その写真が原因で逮捕された? ◆10月1日、写真を受け取りに行ったところで逮捕されました。「え?え?」とびっくりして。ドラッグストアが子どもの裸の写真を見て警察に通報したようです。「何かの間違いだから」と私を迎えに来るつもりで警察に行ったボーイフレンドも逮捕されました。 ――どんな写真が問題だったのですか? ◆逮捕当時はよく分かりませんでしたが、弁護士によると、特に私とその子がベッドの横で裸で腰掛けている写真が問題視されたと。あまり覚えていませんが、風呂上がりに子どもがセルフタイマーで撮ったようです。 ――「日本の暮らしでは変じゃない」と説明しても、米国の当局には通じなかった? ◆米国では10歳の子どもとお風呂に入ったり、裸で同じ部屋にいたりすることは受け入れがたいだけでなく、性犯罪を疑われるということを後で知りました。そんな感覚は全くなかった。抵抗したけれど、最終的に重罪を認めて国外退去するか、軽犯罪を認めて1年間刑務所に入るか、というおかしな二択になりました。弁護士は「刑務所に行くな」とアドバイスしてくれ、裁判に進むお金もないので重罪を認めました。でも釈放直後に移民局に逮捕されて、日本に強制送還されました。パスポートも片道航空券も用意していたのに。 ――大変な経験をされましたが、帰国後は日本で活動を再開されたのですか? ◆08年に帰国した後、ボーイフレンドと結婚して、仙台に住みました。夜の街を撮影したりしていましたが、日本で写真家としてどう生きたらいいのか悩んでいました。 ――そして11年の東日本大震災。写真家としてどう向き合うかという思いはありましたか? ◆いや、最初はなかったです、私は報道写真の経験はなかったので。高知の地元紙から「写真撮ってもらえませんか」と依頼があり、ニューヨークの国際写真センター(ICP)の同窓生だったドイツ人写真家も撮影のため仙台に駆けつけました。「一緒に行ったら足手まといになるよね」と聞いたら、彼は「自分は外から来た人間だけど、君はここに住んでいる人だから、光景を見るとすごく悲しくなると思う。だけど、ここに住む人だからこそ、何が起こったか見ないといけないと思う」と言われました。 3月15日、知り合いにデジタルカメラを借りて閖上(ゆりあげ)地区(宮城県名取市)に行きました。被災地はめちゃくちゃで、「ここで写真を撮っていいのか」とひるみました。でも彼は淡々と写真を撮り始めている。「やっぱり私たちはここに写真を撮りに来たんだ」と思い、シャッターを押しました。 ――これまで撮ってきた写真とは全然違うものですよね? ◆全然違う。これまでは光と影を表現する白黒写真。ここからはカラーです。被災地にあるのは悲しみばかりだと感じました。自分が撮るというより、撮らせてください、と祈るような気持ちでした。でも通い続けると、気温や光、風の変化を気持ちいいと感じるようになりました。夏には夕焼けがきれいで。最初は「被災地できれいだと思っていいのか」と自問しましたが、自分が感じたことに素直であろうと思いました。すると「どんなにがれきだらけでも、壊せない美しさというものがある」と分かりました。形を変えた生命のエネルギーだったのかもしれません。そのエネルギーを写し取りたいと、念写するような感覚で撮りました。 ――12年に出産されて、さらに作品に変化はありましたか。 ◆産後10カ月の頃、「写真撮らないと」と気がつき、まずは子どもにお乳を飲ませる写真から始めました。最初はとにかく撮りためていましたが、作品として進化していくうちに分かってきました。「もしかして私はスキンシップを撮ろうとしている?」。あの時、なぜ逮捕されたかというと、子どもの裸が写っているというだけでなく、家族の関係を誤解されたということですよね。日本的な親子の関係を犯罪視されたけど、子どもが生まれて、子どもとくっついて育てることの素晴らしさを実感しました。写真家として、写真という手段で声を上げたいと思いました。 愛情の表し方は国や家庭によって違うだろう。でも、スキンシップという違うものを撮ることで、何か共通する愛とかぬくもりとか優しさとかを表現したいと思いました。LGBT+コミュニティーの象徴の虹色の旗をデザインしたギルバート・ベイカーは言っています。「他の全てがうまくいかない時、アートこそが究極の武器だ」 ――逮捕された話を公にすることにちゅうちょはありませんでしたか? ◆時間は必要でした。作品を公表するには、「アーティスト・ステートメント」というものを書きます。この作品をどうして撮り始めたのか。何を訴えようとしているのか、自分が作品を作る理由みたいなものを書くんです。 最初は逮捕に触れずに説明できないかなあと思いました。でも無理。だからある時点で書こう、公表しようと決めました。 ――今のメインテーマはスキンシップですね。 ◆そうです。でも子どもは思春期に入りつつあります。家族を撮っていくことには変わりはありませんが、この子を手放すことを学ぶフェーズに入ったかなと思います。 人間って、誰かからくっついて生まれてくるけど、少しずつ離れていく。小さな時にくっついてくっついて、大切にするのも、手放すためなのかと思うと、ああ、子育てってとても幸せだけどとても悲しいなと思います。そうですよね。