12・3非常戒厳の宣告により内乱を起こした疑いをもたれている尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領に対し、趙垠奭(チョ・ウンソク)内乱特別検察官(特検)が9日、死刑または無期懲役刑を最終求刑する。ソウル大学法学部の学生だった1980年の模擬裁判で、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に死刑を求刑した尹前大統領は、この日、自身が反対に求刑される立場に立つ。 趙特検は昨年12月14日に捜査を終え、各自の法律事務所や検察庁に復帰していた特検補、次長・部長検事らを前日(8日)午後3時ごろに招集し、約6時間にわたって内乱首謀者、職権乱用などの疑いがもたれている尹前大統領の求刑量を決定するための議論を行った。この日の会議では、各出席者が尹前大統領に対して死刑と無期懲役のどちらの求刑が適切かについて順次意見を述べた。その結果、尹前大統領の内乱首謀者容疑について、死刑ではなく無期懲役を求刑すべきだという意見が優勢であったことが把握された。趙特検はこの日、特検補と次長・部長検事が出した意見に基づき、9日の結審公判までに尹大統領に対する求刑を確定する予定だ。 この日の会議では、内乱重要任務従事などの疑いをもたれている金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官、「ロッテリア会合」に関連したノ・サンウォン前国軍情報司令官とキム・ヨングン前第3野戦軍司令部憲兵隊長、警察指揮部である趙志浩(チョ・ジホ)前警察庁長とと金峰植(キム・ボンシク)前ソウル警察庁長ら8人の求刑量も議論された。 この日の会議を終えて出てきた特検チームの関係者は「趙特検が意見収集を終え、さらなる検討の末に求刑量を定めるものとみられる」と伝えた。 ◇「1980年の内乱よりも国の品格を大きく損なわせた」 尹前大統領が受けている内乱首謀者容疑の法定刑は、死刑または無期懲役刑、無期禁錮刑のみが可能だ。当該容疑の求刑は、30年前の1996年8月5日に全斗煥元大統領に対して検察が死刑を求刑した事例が唯一だ。趙特検は、全元大統領の1980年5・17非常戒厳全国拡大と、尹前大統領の12・3非常戒厳の違法性を比較して求刑量を定めるものと分析される。 全元大統領の場合、内乱首謀者のほか、12・12事態に関連した軍刑法上の反乱、5・18光州(クァンジュ)民主化運動で民間人が多数死亡したことに関連した内乱目的殺人などの容疑が追加適用され、死刑が求刑された。1審裁判所は検察の求刑通りに死刑を言い渡したが、同年、控訴審で無期懲役刑に減刑され、翌年に最終的な刑量が確定した。 それに比べ、12・3非常戒厳は民間人の死亡者こそ出なかったものの、権力独占・維持を目的に戒厳を宣告した点、87年体制下で発展した政治・経済体系を一瞬にして麻痺(まひ)させることができた点、たとえ未遂に終わったとしても政治家の逮捕など違法な計画が練られていた点などを勘案すると、犯行の重大性という点では決して劣らないと趙特検は判断しているという。 特検チームは昨年11月、韓悳洙(ハン・ドクス)前首相に内乱首謀者幇助などの疑いで懲役15年刑を求刑した際も、「12・3戒厳内乱は、数十年にわたり積み上げた民主化の結実を一瞬にして崩し、国際信用度と国家競争力を失墜させ、経済発展に対して重大な障害物となった」とし、「45年前の内乱よりも国の品格を大きく損なわせた」と評価した。 あわせて趙特検は、前職検察総長である尹前大統領が捜査や裁判に不誠実な態度で臨んだ点も考慮しているという。尹前大統領は昨年7月10日、特殊公務執行妨害などの疑いで再拘留されると、特検チームの召喚にことごとく応じなかった。特検チームが強制引致しようとしたが、拘置所の独房で抵抗し拒否した。結局、特検チームは尹前大統領を一度も取り調べることができずに起訴しなければならなかった。尹前大統領は昨年7月から4カ月間、内乱裁判にも出廷しなかった。 この日の会議では、死刑制度が事実上執行されていないため、無期懲役刑で「実質的な求刑」をすべきだという意見もあったと伝えられる。最後の死刑執行は28年前の1997年12月30日だった。