ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(321)

治安、悪化の一途 しかしながら、同時期、この国の治安は──六〇年代末に引き続き──悪化の一途を辿っていた。 武装ゲリラの銀行襲撃の頻発には、前章で触れたが、彼らはそれだけでなく(ブラジルに駐在する外国の)外交官を誘拐する、ハイジャックをする、警察や軍隊の施設を爆破する、暗殺も…と暴れまくっていた。 七〇年三月には、大口信夫総領事(サンパウロ)が拉致されている。 その日の夕刻、公邸付近で数名の男に軽機関銃や拳銃を突きつけられ、いずれかへ連れ去られた。 外交官誘拐では、前年、米国大使が被害に遭っていた。七〇年は大口総領事のほかドイツ大使、スイス大使も受難している。 後で判ったことだが総領事を襲ったのはVPR(人民革命前衛隊)のメンバーで、治安機関に拘留されている同志五人の釈放を連邦政府に要求していた。 五人の中の主要メンバーは、通称マリオという日系人だった。本名は大沢シズオといった。 大統領は、結局その要求を受け入れた。五人は、その一人の子供三人と共に、メキシコに空輸・釈放された。 総領事は無事、公邸に戻った。 この事件の折、筆者は、サンパウロ新聞では経済部に移っていたが、応援のため取材に加わり、公邸に出かけた。 報道関係者、一般人が数百人、公邸の前の道や公園に蝟集していた。 日本からも新聞、テレビの記者、カメラマンが多数駆けつけていた。日本の外交官が誘拐されたのは初めてであり、大事件だったのである。 一方、政府側は、暴れまくる武装ゲリラやその他の反抗勢力に対し、六〇年代末から猛烈な反撃に出ていた。 七〇年代に入ると、警察(州、連邦両警察)だけでなく、陸軍まで動員、その内部に特別組織を創り、徹底した弾圧をした。 陸軍の特別組織はDOI─CODIといい、本稿で度々紹介済みのDOPS(州警察政治社会保安部)以上の狂暴さを発揮した。 この反撃・弾圧での、逮捕した容疑者に対する拷問は、残虐極まるものであった。これも前章で触れたが、初めから死者を出しており、その数が信じがたいほどになった。 二〇一四年、ニッケイ新聞が、フォーリャ紙の記事を引用して作成した連載によると、拷問による死者は、六〇年代後半には二〇人余だったが、DOI─CODIが加わって以後の五年間には一三二人となった。 数人だった行方不明者も九六人となった。この場合の行方不明者とは、密かに殺されたケースが多い…と筆者は聴いている。 拷問は、判った範囲内で、六九年以降五年間で計三、六〇〇件以上にもなった。 以後も、七〇年代末の反撃・弾圧終了までに、死者二二人、行方不明者三六人、拷問一、〇〇〇件余…を数えた。 (七九年、ガイゼル政権末期、政治犯に対する恩赦法が制定され、これは、治安機関にも適用された。一切が不問に付された) この警察、陸軍による驚くべき数の拷問・殺人は、それ自体が治安の破壊であった。 それを止めなかった連邦・州両政府も共犯者であった。 ただし、当時、これらの事実は秘密にされており、資料として報道されたのは、遥か後年のことである。 一般の人間は噂程度にしか知らなかった。 なお、七〇年六月には、前章で触れた吉永マサフミが、DOPSに自首している。彼もVPRのメンバーであった。 VPRと同種の武装ゲリラは、大小多数存在した。 警察やDOI─CODIは、彼らを共産主義者と決めつけていたが、そうとも限らなかったようである。 判り易くいえば彼らは、革命以来の軍事政権に対する猛烈な反抗者であった。その行動は武装しての実戦を伴うレジスタンスであった。 それと、国民の多数を占める極貧階級の救済も、目的として掲げていた。経済が高成長を続けているといっても、富は一部に集中しているというのが、その主張だった。 ゲリラのメンバーの中には日系二世が二、三〇人居たという。その中の何人かが殺されている。 無論、警察・DOI─CODIの側にも日系人がいた。筆者は、その一人から内輪話を聴いたことがある。 ある時ある場所で、ゲリラと思われる男と遭遇した。向こうも、こちらがどういう人間であるか気づいた。撃ち合いになった。相手を斃した後、腹を裂いて内臓を引き出し、遺体と川に捨てた。 そうすると、遺体が水面に浮かばない。見つからない。 通常の勤務中のことではなく、偶然起きたことであり、問題化する危険があったため、そうした──。 この話、事実かどうかは確認できなかったが、その話す表情は真に迫っていた。 殺された方は、前記の行方不明者の一人ということになったであろう。

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