林眞須美死刑囚の長男「母は無罪の確証はないが、やった確証もない」 カレー事件から28年、面会を続けるわけ

28年前の夏祭りを襲った事件は、常に人生につきまとってきた。出口の見えないなか今も故郷に残り、母との面会を続けている。彼が選んだ「区切り」とは。 * * * 月に1度か2度、母親に面会するため大阪拘置所を訪れる。 「会うと、僕の食事や生活のことを気にかけてくれます。僕にとって唯一の、かけがえのない母親です」 林浩次さん(38、仮名)は、静かに話す。 母親は、林眞須美死刑囚(64)。今から28年前の1998年7月、和歌山市園部の夏祭りの会場で、カレーを食べた4人が死亡し、63人がヒ素中毒となった。容疑者として逮捕されたのが、事件現場の近くに住む林死刑囚だった。 この「和歌山毒物カレー事件」は連日、メディアでセンセーショナルに報じられた。本人は一貫して「無罪」を主張していたが、カレー鍋にヒ素を入れた殺人罪などに問われ2009年5月、最高裁で死刑が確定した。現在は裁判のやり直しを求め、3回目の再審請求をしている。 事件があったとき、浩次さんは10歳で小学5年生だった。それまでの幸せな生活は、事件を境に一変した。 事件から約2カ月後、母親と一緒に父親の健治さん(81)も逮捕された。同時に、浩次さんと2人の姉と妹は、地元の児童相談所を経て、児童養護施設に移ることになった。施設にはさまざまな事情を抱えた子どもがいたが、「林」という名字は目立った。 施設では「カーストの最底辺」にいたという。施設の子どもたちから首を絞められたり、鉄アレイで殴られたり、暴力の対象になった。それ以上につらかったのは、人格そのものを否定されることだった。 「人として認めてもらえないことです」 顔にニキビができると「ヒ素が原因だ」とからかわれ、何かあると「カエルの子はカエル」とののしられた。何をしても、あるいは何をしなくても、事件が先回りした。自分の存在そのものが、事件のラベルで上書きされていった。 施設では、感情を表に出さない術(すべ)を覚えた。泣いたり悲しんだりすれば、また標的にされる。怒りも弱さもできるだけ隠した。 高校を卒業し施設を出た後も、事件の影はつきまとった。「林眞須美の息子」とわかると、「異物」として社会からの拒絶に直面した。 レストランでアルバイトをしていると、浩次さんの素性に気がついた店長から「うちは食べ物を扱っているから、衛生的に問題があるんだよね」と言われ、そのまま店を辞めたこともあった。部屋を借りるにも、携帯電話を契約するにも、事件はついて回った。 結婚も、破談となった。 30歳のころ、約6年つきあった女性がいた。プロポーズをし、彼女の実家に行った際、思い切って彼女の父親に素性を伝えた。すると、父親は怒鳴った。 「大事な娘を死刑囚の息子にやれるか!」 罵声を浴びせられながら彼女の家をあとにし、二人の関係は終わった。 しかし、浩次さんは、彼女の父親を恨む気持ちはなかった。これが「社会から見た自分」だと受け止めた。これが社会から見られている自分の姿なのだ、と。 このとき、覚悟を固めた。 「真面目に働いて納税し、犯罪もせずに暮らしていてもカレー事件に束縛されます。だったら、事件に区切りをつけることを最優先にしようと」

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