《神戸連続児童殺傷事件29年》「なぜ、淳が命を奪われたのか…」問い続ける父親・土師守さん

1997(平成9)年、世間を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」で、被害者の1人、土師淳君(当時11歳)が亡くなり、5月24日で29年を迎えた。淳君の父親・守さん(70)が、淳君の命日を前にラジオ関西の取材に応じ、「淳への思いは、29年という年月が経過しても変わらない。あの時のまま」と話した。 ■加害男性への矯正指導、何だったのか 放射線科医師・守さんは6年前(2020年)、それまで勤めていた病院を退職後、知人が経営する個人病院で仕事を続けている。淳君が存命ならば40歳になる。 あれから29年の歳月が経過した。「ふと思い出すのは、淳が笑ったり、怒ったりする表情。日常的なシーンを思い出す」。 加害男性は2005年に関東地方にある少年院を本退院し、社会復帰してから21年が経過した。今年で43歳になる。 かつて、淳君の命日を前に加害男性から手紙が届いていた。守さんは当時、「少しずつ、彼の心に変化が見えた」と語ったのもつかの間、2015年に遺族に何のことわりもなく、事件について記した手記「絶歌」を出版した。その2年後、手紙も途絶えた。 今年(2026年)も届かず、9年が過ぎた。「事件と向き合っていない。彼(加害男性)への矯正指導は、いったい何だったのかと思う」と語った。 遺族には時効などない。守さん自身、十分納得できる答えが得られることはないことは承知の上だ。「私たちは、『なぜ淳が命を奪われなければならなかったのか 』 を問い続けている。その希望は捨てない。親としての責務だから」と訴え続ける。 犯罪被害者支援に奔走した守さん。全国犯罪被害者の会(あすの会・2018年に解散)で、犯罪被害者や遺族の権利の確⽴を訴え56万⼈分の署名を集めて犯罪被害者等基本法の成⽴にも貢献した。その後、被害者・遺族が刑事裁判に参加し、被告⼈に直接問いかける「被害者参加制度」の実現や殺⼈事件などの時効の撤廃にも⼒を注いだ。そして、2022年に新全国犯罪被害者の会(新あすの会)として再結成、守さんも幹事として、被害者に対する経済的支援の強化や「被害者支援庁」創設への働きかけを進めている。 ■犯罪被害者が生きていくために…継続的支援を 2026年4月、警察庁は犯罪被害者のための「被害者手帳」を作成し、重大事件の被害に遭った人らに配布する方針を固めた。手帳に被害状況などを記し、支援を受ける際に被害者自身が説明する負担を軽減するほか、支援する側がこれまでの被害者への支援状況を把握できるようにする。準備ができた都道府県警は、早ければ今夏から配布を開始する。今年度中に全国で運用するという。1つの冊子に裁判記録や支援内容が記されることについて、「ずっと記憶し続けることが重要だが、記憶の漏れも生じるだけに手帳にまとめておくことが大切。ただ、 記述欄について、経過が長ければ長いほど多くのスペースが必要だ。そこをどう運用していくか。記述するというのは、事件当時を思い出すことでもあるから」。一定の評価をしつつ、今後さらなる質の向上を期待する。 また、殺人事件などの被害者の遺族に支給する遺族給付金が、一昨年(2024年)6月15日以降に起きた犯罪から引き上げられた。「被害者が民事訴訟を起こしても、損害賠償金が支払われないことが多い。“絵にかいた餅”にならないよう、被害者への経済的支援を継続的に続けてほしい」と願う。 ■メディアよ、真摯に報道しているか またも子どもが犠牲になる事件が また幼い子どもが犠牲になった。今年3月に起きた京都・南丹市男児殺害事件に触れ、守さんは「11歳の子どもが被害に遭い、犯人が肉親(義理の父親・5月に殺人容疑で逮捕)という点で、ご遺族は相当追いつめられているのではないか。そこが非常に心配だ」と述べた。 29年前のことがよぎる。事件発生からしばらくの間は、本当に精神的にも肉体的にも厳しい期間が続いた。自宅には多くの報道陣が詰めかけ、常に監視されているような状態だった。家族を失い、悲しみに暮れる守さんら遺族に襲い掛かる“メディア・スクラム”。守さんは「(自宅の)インターホンと電話が鳴り続ける異常な状況だった」と振り返る。 人の命が奪われる事件が起きるたび、守さんは、「ひょっとすると、既存メディアに対する不信感があるから、インターネットやSNSが発信する情報を信じてしまう、ということもあるかも知れない。それだけに、既存メディアには真摯な報道を求めたい」とも話した。 《神戸連続児童殺傷事件》 1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。 少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2004年に仮退院し、2005年に社会へ復帰する。そして2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えている。 2022年、この事件をはじめ重大な少年事件の記録が各地の家庭裁判所で廃棄されていたことが発覚。これを受け最高裁は全国の裁判所に対し、民事・家事(離婚、養育費、相続、成年後見など家庭に関する事件)・刑事事件を含めた全ての記録の廃棄を一時停止するよう指示した。そして史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」として永久保存すると定めた新たな規則を作った。

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