池田小事件「宅間守の遺体」と一夜を過ごした妻

幼い子どもを狙った非道な犯行は絶えない。最近では、中国で日本人学校の小学生男児が刺殺されたばかりである。そもそも犯罪者の多くは卑劣なのだから、彼らが弱い者を狙うのは必然だともいえる。 犠牲者の人数だけで測ることはできないとはいえ、戦後の日本で子どもを狙った犯罪の中でも最悪の事件が、2001年に発生した大阪教育大附属池田小児童殺傷事件だろう。 この事件では児童8名が命を落とし、15人の児童や教職員が重軽傷を負った。逮捕後、犯人の宅間守は動機について「エリート校のインテリの子をたくさん殺せば死刑になると思った」と語っていたという。 公判でも改悛の情を見せることは一切なく、死刑判決は一審で確定。執行もそれから1年後という異例の早さだった。そのため、この秋で死刑執行からちょうど20年が経過したことになる。あっという間に判決が出て、刑が執行されたことは悪いことではないものの、一方で事件についての報道を減らし、結果として風化を加速させたのかもしれない。ことさらに現場のディテールを再現する必要はないだろうが、決して忘れてはならない事件なのは間違いない。 ここでご紹介するのは、宅間守の死刑執行直後の知られざるエピソードである。 (「週刊新潮」2004年9月30日号より。年齢などは当時のもの) ***

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