カリスマ漫才コンビ「中田カウス・ボタン」として一世を風靡(ふうび)した中田ボタン(本名・藤長明=ふじなが・あきら)さんが14日に亡くなっていたことが分かった。78歳だった。 ボタンさんは2019年2月ごろから「疲れが取れない」「話しにくい」などと体調不良を訴えて入院。同3月に当時の所属事務所、吉本クリエイティブ・エージェンシー(現吉本興業)が一時休養を発表した。同4月、相方のカウスが、舞台取材会の場で「病院には入っておりますが“家に帰りたくないという事情”があるようで、非常に健康でありました」とジョーク交じりに報告していた。その後、23年2月20日付で吉本興業とのマネジメント契約を終了。コンビは事実上の解散状態となった。 24年11、12月に配信された桂小文枝の公式YouTubeチャンネルに出演。ステージ4の肺がんであることを明かした。以降も自宅や病院で療養を続けていたが、今月14日に自宅で倒れているところを家族が発見。病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。葬儀は18日に家族葬として行われた。 ボタンさんは1948年4月12日、香川・小豆島町生まれ。中田ダイマル・ラケットの弟子の中田アップに入門し、同じ門下のカウスと組んで68年3月に「中田カウス・ボタン」を結成。舞台衣装はスーツではなく、ジーパンに長髪姿とカジュアルで、漫才コンビのアイドルの走りになるほどの人気を経て、のちの島田紳助・松本竜介、ダウンタウンにも影響を与えた。71年には上方漫才大賞新人賞を受賞した。 88年には賭博容疑で逮捕され、謹慎処分が下されたが、借金を強力なネタとして生かし、貧乏なボタンさんをカウスがイジるという設定で進めるしゃべくり漫才に昇華。91、2001、05年に最高峰・上方漫才大賞の大賞に3度輝いた。女性漫才コンビ「海原やすよともこ」はボタンさんの弟子にあたる。 14年には、漫才の伝統継承、若手育成のために「上方漫才協会」を設立。会長のカウスとともに副会長を務めた。