「敵のスパイを追う男」が敵だった CIA防諜トップの「裏切り」で協力者はなぜ処刑されたのか

ソ連崩壊後、米国の情報機関を揺るがす事件が相次いで発覚した。その一つが、CIAで対ソ・対ロシア防諜を担っていたオルドリッチ・エイムズの裏切りだ。エイムズは長年にわたりソ連側へ機密情報を提供し、見返りとして総額460万ドルを受け取ったという。ここでは、冷戦終結後の米露関係の裏側で起きたスパイ事件を通じて、情報戦の知られざる実態に迫る。朝日新書『世界を変えたスパイたち』(春名幹男)から一部抜粋して紹介する。* * *■米露「二重スパイ」の摘発が続く ソ連崩壊以後、米国の大物スパイが実は、ソ連に重要な情報を漏洩していた事実が明るみに出て、逮捕・起訴され、終身刑を言い渡される事件が続いた。 一人はCIAの対露防諜部長だったオルドリッチ・エイムズ(1941~服役中)で、逮捕は1994年2月21日。もう一人はFBIの特別捜査官ロバート・ハンセン(1944~2023、獄中死)で、逮捕は2001年2月18日。 いずれも捜査の最終段階で、ロシア側から得られた情報が決め手となって逮捕することができた、という共通点がある。東西冷戦の終結後、米露情報機関の間の交流が進展し、両国間で情報が行き来するようになったから、摘発できたのかもしれない。 だが、後述する「ユルチェンコ事件」のように、いまだに真相が確定できない事件も残されている。エリツィン政権時代、米国は政権維持に努め、米露関係は蜜月とも言われたが、スパイ事件が重なって、特に両国情報機関の間で不信感が募っていくことになる。当時の報道などから、これらの事件を追っていく。■ソ連から460万ドルのわいろ エイムズは、大学講師からCIA工作部門に転職した父親カールトンを追うように自身もCIA入りした。父が1953年から3年間東南アジアに赴任した際も一緒に移住したが、父はアルコールの問題があって評価が悪く、残りの任期はバージニア州ラングリーの本部で終えた。 息子の方はジョージ・ワシントン大学卒業後、CIAの訓練を一緒に受けた同僚女性と結婚してトルコに赴任したが、父と同じ酒の問題を指摘された。1976年ニューヨークに赴任し、ソ連側の協力者を担当。次は1981年メキシコに転勤、在メキシコ・コロンビア大使館の文化担当官でCIA協力者のマリアと知り合い、1985年に結婚した。 1983年、CIA本部の東南アジア工作部門で対ソ連カウンターインテリジェンス(防諜)工作に携わり、KGBとGRUに対するあらゆるCIA工作関連情報にアクセスした。その後、ソ連大使館要員をリクルートする可能性を探る仕事に就き、日常的に彼らと接触するようになった。その間、前妻への慰謝料に加えて、金遣いが荒いマリアの浪費で金に困ったこともあってか、1985年4月、ついに一線を超えた。CIAの要員でありながら、KGBに情報を提供するようになった。最初はあまり価値のない文書を提供しただけだが、ソ連側は直ちに5万ドルを支払った。 それから間もなく、エイムズはCIAが厳重に保管してきたかけがえのない最高機密情報、つまりソ連国内に潜むCIAの協力者の氏名を金と引き換えにソ連側に教える作業を始めた。エイムズはそんな犯罪で総額460万ドル(現在のレートで約7億円)を得たという。 エイムズは1986年ローマに配置されたあと、1990~91年、CIA防諜センター分析グループに異動、さらに「極めて機微なデータ」にアクセスできる立場に置かれた。■エイムズはお払い箱にされ逮捕されたのか? 1985年に2人、そして3年後の1988年に3人、その後4人、といった調子で合計10人以上とみられる名前をKGB側に伝えた。これに対して、KGBは1986年、エイムズから名前を知らされた在米ソ連大使館に駐在するKGB工作員2人を突然帰国させ、モスクワで銃殺刑に処した。1988年には3人(うち2人はソ連大使館員)がソ連に送還され、処刑された。 ソ連側の処刑の仕方は荒っぽくて、「乱暴に廃棄物を扱うように、われわれの協力者を終わらせた」とCIAの関係者は驚いたという。CIAのプロの「スパイキャッチャー」なら、常識的には協力者をまとめて消すことはしない。相手国に「情報漏れを気付かせ」てしまい、エイムズのような貴重な情報源を危険にさらすことになるからだという。実際、KGBのエイムズ担当者は後になって、エイムズに謝罪し、処刑の時期は政治の最高レベルが決めたことだと弁解したという。 ソ連側はなぜこれほど乱暴な扱いをしたのか。石油価格の低下で苦しくなったソ連政府の財政状況などから、エイムズはもはや不要という判断をした可能性はないだろうか。実際、ロシア国内の報道では、エイムズはFIS(現在のSVR)の次官クラスの決定で米側に引き渡すことにした、という報道があったという。(Amy Knight, Spies Without Cloaks, Princeton University Press, 1996, p.125) 実際、このような経緯をへて、CIAはようやく本格捜査に乗り出した。この捜査方針を決定したのはなぜか、今ひとつ理由が釈然としない。いずれにせよ1991年にCIAとFBI合同捜査チームが対象を20人に絞り込み、捜査が進展した。 5万ドルの高級車ジャガー、54万ドルの自宅など、当時の年収6万ドルのエイムズでは不相応な生活。「妻の父の遺産」をもらったという言い訳もウソだと判明した。 捜査チームは1993年3月には、自宅を電子装置で監視、ごみ箱を検査し、車に監視装置を付けて行動を監視した。1994年、モスクワでの会議出席の予定があると知り、外逃亡の恐れがあるとみて、逮捕したという。 エイムズの事件は「レーガン軍拡」に関する疑問にもつながった。元宇宙飛行士のジョン・グレン上院議員(民主党、オハイオ州)は「(レーガン政権は)ソ連の脅威を大げさに言い立てて、必要以上に軍備を拡張した」と批判した。1992年の会計検査院(GAO)報告書も、「ペンタゴンは極秘の調査研究でソ連の核攻撃に対する米国の脆弱性を誇張した」と指摘している。実はソ連は、エイムズを使って、誇張したソ連の軍備増強情報を米国側に流していた、という報道もあった。つまり、「現実より過大なソ連軍備」との情報がレーガン軍拡の根拠だった可能性が指摘されていたというのだ。ただこの問題は真相が追及されないままになっている。(朝日新書『世界を変えたスパイたち』から一部抜粋)【AERA Books MEMO】春名幹男『世界を変えたスパイたち』冷戦終結の真実、レーガンの戦略、トランプ大統領の秘密、ウクライナ侵攻の次は……。世界を揺るがす事件の裏側には、必ず“スパイ”が暗躍している。ソ連崩壊の真相を初めて暴露! 情報機関の裏側に迫る。

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