17年前、父の姿に叫んだ「もうあかんのか」 飲酒ひき逃げ遺族が求めた「償いの形」

悪質な交通事故に適用される危険運転致死傷罪。要件が曖昧との批判が強く、法改正に向けた議論が始まる。17年前、飲酒ひき逃げ事故で父親を亡くした男性も、同罪が適用されず、命が軽んじられていると納得できなかった一人だ。刑期を終えた運転手(51)とは年に1度、交流を続ける。遺族として求めた「償いの形」だが、遺影に手を合わせる姿に語りかける。「今年も来てくれてありがとう」(金海隆至) ■年に1度、運転手と交流 兵庫県姫路市網干区でボクシングジムを運営する川端賢樹さん(52)=同県太子町。あの夜のことは、今も鮮明に覚えている。 2008年7月8日深夜、自宅の電話が鳴った。「川端弘二さんらしき人が事故に遭い搬送された」。警察官に告げられ、相生市の病院に急いだ。 病室に入ると、父親の弘二さんが虫の息でベッドに横たわっていた。「おやじ、大丈夫か!」。目の前の光景が信じられず、叫んだ。「もうあかんのか」 それから間もなく、弘二さんは息を引き取った。62歳だった。頭や胸などを強く打っていたが、その顔は穏やかだった。 川端さんは当時36歳のプロボクサー。日本チャンピオンへの返り咲きを目指し、弘二さんが営む建設会社で働きながら現役を続けていた。父親とはその朝、姫路市内の事務所で顔を合わせたきり。「今日も暑いから気を付けろよ」。現場仕事へ向かう前に聞いた言葉が最後となった。 ◇ 事故は自宅近くの国道179号で起きた。自転車で帰宅中だった弘二さんは、後方からトラックにはねられ、翌9日、救護せずに走り去っていた運転手が逮捕された。 運転手は、自動車運転過失致死と道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の罪に問われ、懲役2年10月の実刑が確定。判決ではその夜、晩酌で発泡酒缶6本をあけた後、居酒屋とスナックをはしごして、トラックで帰宅する途中だったとされた。 法定刑の上限が懲役20年の危険運転致死罪は適用されず、法廷で量刑を聞いた川端さんは「軽いな」と感じた。法改正の議論が始まるいま、強く思う。「細かく基準を設けるのもいいが、飲酒ひき逃げは、いっそ危険運転罪にしてほしい」 ◇ 刑期を終え、初めて謝罪に訪れた運転手の男性と約束した。「おやじの命日に手を合わせに来い」-。犯した罪の重さを忘れてほしくない一心からだった。 昨年も自転車で訪れた。事故を境に車の運転をやめ、酒は一滴も飲んでいないという。頭を丸め、白シャツに黒ズボンの喪服姿は十数年変わっていない。 仏間で遺影に手を合わせた後、日々の仕事や家族のことなど近況を語り合う。最後に決まって川端さんが冗談交じりに聞く。「うちのジムでボクシングせんか?」 年に1度、彼の自由を「束縛」しているのは承知の上だ。ただ、約束を守り続けてくれていることに誠意を感じ、憎しみは消えた。「いつか、もういいよと話せる日が来ると思う」。そんな予感がしている。 【危険運転致死傷罪】自動車の危険な運転によって人を死傷させた場合に適用される罪。最高刑は懲役20年で、過失運転致死傷罪(懲役7年)より重い。悪質な運転の厳罰化を求める声が高まり、2001年の刑法改正で創設された。危険運転を「アルコールの影響により正常な運転が困難」「進行制御が困難な高速度」の運転と定めるなど、成立要件が分かりにくいとの批判も根強い。運転手の体内のアルコール濃度や速度の数値基準を設ける法改正の議論が近く、法制審議会(法相の諮問機関)で始まる。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加