京都新聞オーナー家「女帝」の地位保証と巨額報酬を確約していた決定的文書

創刊145年を超す有力地方紙、京都新聞。だが、その経営体制は長年、オーナー家の専横という“闇”を抱え込んできた。これを払拭するため、持ち株会社「京都新聞ホールディングス」は2022年、大株主だった元相談役の白石浩子氏に報酬の返還を求めて京都地裁に提訴。今年1月23日、全額返還を命じる判決が出た(元相談役側は控訴)。40年にわたるオーナー家の呪縛には根拠となる「確約書」が存在した。当時の社長との間に交わされた、その中身とは──。 (西岡 研介:ノンフィクションライター) ■ 内紛処理に女帝自ら〈反社会的勢力〉を引き入れる イトマン事件などで服役後、韓国に永住し、再び実業家としての活動を始めた許永中氏が、2019年に著した自叙伝『海峡に立つ——泥と血の我が半生』(小学館)にこんなくだりが出てくる。少々長いが、京都新聞の大株主だった白石浩子氏のかつての「女帝」ぶりがうかがい知れる内容なので引用しよう。 〈結局、KBS京都と京都新聞社は経営的に完全分離し、互いに干渉しない独立した存在となった。KBS京都の社長は内田(和隆。英司氏の元番頭で、英司氏の後の社長)が引き続きつとめ、新聞社は白石女史(浩子氏)の実弟がオーナー経営者となった。 KBS、京都新聞両社の経営を独立させるという正式取り決めは、京都高台寺にある料亭「土井」の中庭に面した大広間で行われた。(中略) 京都新聞は白石浩子会長、社長、常務という布陣であった。KBS京都は内田社長以下、取締役3名、四代目会津小鉄の高山登久太郎会長、山段芳春、私の総勢10名である。 山段理事長は白石女史を追い込むために相当な“嫌がらせ”をしたといい、白石女史は山段と内田のふたりの顔は死んでも見たくないと抵抗した。それを京都一の顔役である高山会長の立ち会いがあるなら、との条件で、この席が持たれたのだ。 白石女史のたっての要望で、広島の酒である大吟醸ゴールド加茂鶴を大量に用意した。(中略)白石女史は酒豪だった。高山会長は当時すでに肝臓に病を持っており、酒には口をつける程度だった。山段理事長も酒は弱く、私と彼女が一升酒を酌み交わすことになった。女史は飲むほどに酔うほどに、山段理事長と内田社長、殊に内田に関しては苛烈な苦情や叱責を繰り返していた。言うだけ言ったからか、高山会長と私にだけ丁寧に挨拶をして、上機嫌で帰っていったのを鮮明に覚えている〉【( )内は筆者補足】 なんのことはない。前回記事の〈合意〉が結ばれた当時、京都新聞と近畿放送の簿外債務処理をめぐる内紛に〈反社会的勢力〉を引き入れていたのは、浩子氏自身だったわけだ。にもかかわらず、〈合意〉は京都新聞が、その〈反社会的勢力〉から彼女を守るためになされたもの、とする浩子氏側の言い分は理解不能だ。

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