12・3内乱で不当な指示に従えなかった大佐たち「違法任務は遂行できぬ」

尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は「2時間の内乱などどこにあるのか」と述べて、「非常戒厳では何も起きなかった」と主張している。戒厳の意図についても「警告のため」として努めてわい小化している。だが、あの日の内乱が急速に終息したのは尹大統領がそれを意図したからではなく、不当な指示に従えなかった佐官級幹部と現場指揮官たちの「最小限の良心」があったからだった。 非常戒厳時に動員された首都防衛司令部の現場指揮官たちは、重要な局面ごとに司令官の指示を実行しなかった。イ・ジヌ前首都防衛司令官から国会への出動・統制を指示された首防司のチョ・ソンヒョン第1警備団長(大佐)は部隊員に対し、まず「市民の安全確保に重点を置き、民間人との接触や衝突に注意せよ」と指示した。昨年12月3日午後11時51分、イ前司令官はチョ大佐に「警察の協力を得て国会の柵の内部に進入せよ」と繰り返し指示したが、チョ大佐は「現場に人が多すぎて難しい」と答えた。 44人の後続部隊員が首防司を出発したのは、12月4日午前0時48分だった。チョ大佐は盗聴防止機能付き電話(秘話フォン)で後続部隊に電話し、「西江(ソガン)大橋を渡らずに、北側の車を止められる場所で車を止めて待て」と指示した。軍が国会に集結する様子を市民に見せてはならないという判断だった。彼はほぼ同じ時刻に、地域隊長にも「民間人があまりいない地域に行って集結していろ」と指示した。同日午前1時ごろには「国会本庁内部に進入し、国会議員を引きずり出せ」とイ前司令官に指示されたが、「単独でできる作戦ではない」と答えた。チョ大佐は検察に「法は知らないが、はっきりとやってはいけないという気がした」と供述している。 中央選挙管理委員会のサーバ確保と主要政治家の逮捕という任務が与えられた国軍防諜司令部のユン・ビナ法務室長(大佐)と、同じく防諜司のチョン・ソンウ第1処長(大佐)も、これらの指示に問題を提起し続けた。昨年12月4日午前0時2分にヨ・インヒョン前防諜司令官から「中央選管の電算センターを統制し、サーバをコピーせよ。コピーが難しいならサーバ自体を持ってこい」と指示されると、チョン大佐は5階の法務室に行き、法律的に問題がないか問い合わせた。これを聞いたユン大佐を含む7人の法務官は、全員が「憲法および戒厳法に違反する」として強く反対した。 チョン大佐は、京畿道果川(クァチョン)など選管に出動した軍人たちにも「遠距離待機して絶対に建物に入るな。できる限り遠く離れていろ」と指示したという。現場に出動した指揮官たちも「出動はするが装備は用意しないようにしよう。目的地まで行くのはよそう」と合意していた。選管に先行投入されて電算室を掌握した情報司令部の要員たちがサーバを引き継ぐ防諜司チームを待っていたが、彼らが来なかったのはこのような背景からだ。 佐官級の幹部たちは上層部の証拠隠滅を防いでもいる。防諜司のパク・ソンハ企画管理室長(大佐)は昨年12月4日午前1時1分、国会で戒厳解除要求決議案が可決されたことを受け、「任務を中止し全員帰還せよ」と指示した。その後、非常戒厳が要件を満たしているか疑わしいと思い、「すべての文書に絶対に触れるな」と伝えた。 検察の捜査の結果、状況がすべて終了した同日午前10時ごろ、防諜司のキム・デウ捜査団長が「司令官の指示」だとして逮捕名簿はなかったという「偽メモ」を作れと指示したが、現場指揮官たちはキム団長を訪ね、「司令官の指示事項は違法だ」として実行しなかった。 このように、内乱の早期終息は司令官の不当な命令を拒否したり遅延させたりした佐官級の幹部と現場指揮官の行動の結果だった。しかし尹大統領は「2時間の内乱」を主張し、軍の統帥権者の指示を遂行しなかった最小限の良心がもたらした結果すらも、弾劾と刑事処罰を免れるための手段にしている。 ペ・ジヒョン、チョン・ヘミン、クァク・チンサン、カン・ジェグ記者 (お問い合わせ [email protected] )

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