1979年に当時の金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長が朴朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領と車智澈(チャ・ジチョル)警護室長を殺害した「10・26事件」に対し、裁判所が再審をすることにした。ソウル高裁は遺族側の再審請求を受け入れ、金元部長の内乱目的の殺人容疑に対する再審を開始することを19日、決定した。金元部長の死刑執行から45年ぶりだ。 裁判所は「当時、戒厳司合同捜査団所属の捜査官が被告を捜査しながら数日間にわたり殴打と電気拷問などの暴行と過酷行為をしたことが認められる」とし「これは刑法上暴行、過酷行為罪に該当する」と説明した。続いて「公訴の基礎となった捜査に関与した司法警察官が職務関連罪を犯したことが証明されたが、公訴時効が完成して確定判決を受けられないため、刑事訴訟法(420条・422条)が定めた再審事由となる」と判断した。 金元部長の妹など遺族は2020年5月、「金載圭という人物に対する歴史的な議論の水準が進化して飛躍する契機になることを望む」とし、ソウル高裁に再審を請求した。再審はすでに確定した判決を再び審理する手続きで、裁判所が結果に誤謬があったり新しい証拠が発見されたと判断するなど極めて例外的な場合に限り行われる。 金元部長は79年10月26日にソウル宮井洞(クンジョンドン)で朴元大統領と車元室長を殺害した翌日、保安司令部に逮捕された。1カ月後の11月26日に軍法会議に起訴され、裁判開始から16日後、内乱目的殺人および内乱首魁未遂容疑で死刑を言い渡された。金元部長は死刑宣告を受け入れられないとして控訴したが、控訴審は6日間で終結した。大法院(最高裁)も死刑を言い渡した原審を確定し、金元部長は80年5月24日に絞首刑に処された。 ソウル高裁は昨年4月の1次尋問期日をはじめ3回にわたり再審の可否を判断するための尋問を進めた。1次尋問期日で金元部長の遺族側のチョ・ヨンソン弁護士は検察の捜査と裁判過程の手続き的不当性を主張した。「捜査過程であった過酷行為および権利侵害、公判録取書と異なる内容が書かれた公判調書などを新しく発見し、再審開始決定をするのに十分だ」とも述べた。 昨年7月の3次尋問期日では10・26裁判当時に金元部長の最後の国選弁護人だったアン・ドンイル弁護士が証人として出席した。アン弁護士は「金載圭被告の弁論を7人の弁護士がしたが、私だけが生存していて唯一の証人となり、この場に立った」とし「10・26を話すたびに『当時の裁判は裁判ではなくひどかった』ということを繰り返し話してきた」と語った。また「休廷中に保安司令部は私を法務監室に呼んで『お前は国選弁護をなぜそれほど熱心にするのか』と脅迫したりもした」とも伝えた。アン弁護士は「当時の裁判は手続き的正義が徹底的に無視されていた。いくら軍法会議といっても司法府なのに当時の検事・判事の中に『このように裁判をするのではない』と抗弁する人が一人もいなかった」と振り返った。 金元部長が「私は大統領になろうと革命したのではない」「10・26革命の目的は自由民主主義を回復するもので、国民の犠牲を防ぐものだ」など朴元大統領殺害は内乱目的でないと主張した当時の最後陳述の録音も再生した。